激しい怒りが私に向かった、

 確かに私に落ち度がある…、

 確かに、「もっと他に言いようがあった」と反省し、

 数時間 動けなくなりました。静かな時間が流れました。

 

こんな時はもっと落ち込まなければならないんでしょうけれど、

静かなんです、不思議。

 

言い逃れのしようもなく【私の不徳の致すところ】です、

そう詫びたら、スーッと平穏が戻りました。

今は、お詫びを受け入れてもらえなくても、

「時」と「成り行き」に委ねます。友人に委ねます。

そして友人に平穏が戻りますように祈り続けます。

 

でも なぜ、

この言い方をしたら反感を買うと、確かに気づいていながら…

言葉を変えようかと、迷いもしたのに…なぜ、

あの時、言葉を変えなかったのか…、マズイとわかっていながら。

 

前にも同じようなことがありました。

「これを言ったら失敗する」とわかっていながら、その場で言っていた…

その結果、案の定…しかし、ある意味、失敗でなかったのかもしれない。

 

つまずくように与えられた(運ばれた)」気がします。

 

ごめんなさい、自分の過失をお天道様のせいにするようで…。

それでも、

失敗していなければわからなかったことが、確かにありました。

 

☆友人が一番私に伝えたかった、私の思いやりの欠如、

 ごめんなさい。私の不徳です。

 こんな自分だと自戒しなければならなかった。

 忘れてはいけなかった。

 

☆全く別な視点から 友人を見られ、全く別なものが見えてきました。

 友人の持つ激しい性格ゆえ、バッサリ切られた他の人の思い。

 仲良くしている時には見えなかった、切られた相手の思い。

 どちらが【良い】も 【悪い】もなく

 立ち位置が違えば 情景は全く違ってきますね

 今だから、バッサリ切られたお相手様の痛みがわかります。

 相手にだって【流れ】があったでしょうに。

 友人にはいまだに見えないであろう、お相手様の思いが…。

 

その同じ激しさを、私も持っている!

 私も相手をなぎ倒したことが一度ではありません。

 全部言い訳できますが、

 倒された相手の思いになってはいなかった

 

☆今は仲のよい他の友だちにも、同様の性格はあるのかもしれない。

 自分では「ない」と思っている人でも。

 優しくて、誠実で、思慮深く、心のこもった仕事をする友人を、

 他の方が見て、激しいと感じる場面はあるかもしれない。

 今は私に向かっていないだけで。

 

 私にもある【人が持つ激しさ】と、これからどう折り合っていけるか

 それが問われている気がします。

 

 

☆【優しさ・誠実さ】と【激しさ】は表裏一体なのかもしれません。

 立ち位置で 様相を変えるのかもしれません、私だって。

 (あぁ、これで失敗した、私…何度も。)

 

  もうひとつ、気づきました。

☆激しさを私に向けた友人を、今でも変わらずに尊敬していることに。

 だから今、心静かでいられ、変わることなく友人を祈り続けられるのです。

 ひとえに友人の人徳ゆえに。

 

☆「体験に精通する」とは、こうして出来事を丁寧に紐解くことなんですね。

 「体験に精通する」ことの大切さを教えてくださった師に、感謝を捧げます。