両親が離婚して、やむなく親戚に引き取られた子ども・・・

具体的な誰かの話ではありません。仮の例え話です。

引き取らざるを得なくなった親戚は、

兄弟の子を 自分の子どもと同様に育てようという覚悟も愛情もなく

断り切れなくて「仕方なく」引き取った・・・。

つまり、自分の子でもない子を育ててやっている」のだ。 

実の子は名門私立に通わせ、預かった親戚の子は公立に通わせた。

「当たり前じゃないか、自分の子でもない子に金をかける余裕はない。」

そういう親・・・巷によくいる人々です。

今これを読んで「ひどい!」とか、「可哀そう」と思った人の中にも、

自分の子どもの子育てさえ面倒に思うことがあるかもしれません。

親戚の子を引き取らざるを得なくなったら、

自分の子どもたちと同じ有名私立へ入れられるでしょうか?

同じ学校に入れてあげようとして受験で失敗して叶わなかったかもしれません。

それでも本人にとっては「差別された」記憶として残る場合があるでしょう。

 

ならば、離婚した実の親どちらかが育てられなかったか・・・?

どっちの親も、親になるに相応しくなかったかもしれません

実の親に育てられていればよかった・・・は幻想です。

性格的なのか生得的資質の欠如のためか、身体だけ大人になった親か?

または実の親どちらも子どもを「引き取りたくなかった」かもしれません。

親の責任から逃れたかった・・・だから以後わが子に会いに行くことはなった。

そんな人間を親に持って、

渋々預かった親戚で、

実子と明確に差別されて育てられた子どもの気持ちはどうでしょう。

 

俺なんか、捨てられたんだ。要らない子だったんだ

こんな不当な扱いを 不当と思ってもいけないんじゃないか・・・。

食べさせてもらっているだけで有難いと思え・・・か。

俺なんか 生まれて来なければよかった・・・。」

 

その気持ちを、誰かが親身に聴いてあげたでしょうか?

「扱いにくい子」として面倒がられて育つ場合があります。

生きていくことへの失望の裏側に、【怒り】が積もり積もって育ちます。

 

存在の根底に「生まれて来なければよかった」失望と怒りを抱えて

人に心を開く機会も得られず、アイデンティティがあいまいで、

自分の人生のビジョンが見えずそれでも生きなければならない・・・

苦しさの救いを求める手立てを知らず、大人になった人・・・。

何をやってもうまくいかない。仕事も続かない、すぐに人と衝突して。

根底にある怒りがどうにもならない・・・。

そこから這い上がるすべがないまま、歳を重ねて。

 

【慢性的トラウマ】を抱えていると自分では気づかず、癒されることなく育てば、

【トラウマが持つエネルギー】が年を追うごとに内側で【増幅】して、いつか

理性では太刀打ちできないほどのエネルギーに増強し、反社会的行為に傾きます。

 

「役所の無料相談」があるじゃないか、と人は言う。

しかし、救いが必要な人ほど 行かないんです。行けないんです。

誰かが手を差し伸べようとしても、振り払いたくなる、

助けられるなんて、みじめで

援助など必要とする自分じゃない、と思いたい

 

生まれて来なければよかった、生きていても良いことなんか一つもなかった。

増幅した怒りのエネルギー】は行き場なく

「こんな自分が生きていたことを知ってほしい! 理不尽が苦しかった!」

自死では済まされない【強烈な心の叫び】が凶器となって

人々の平穏な暮らしに 理不尽に襲いかかる・・・。

それを「テロだ!」という人もいる・・・。

 

「許されることではない!」と叫ぶことは誰にでもできます。

本当に必要なことは何なのか、社会に突き付けられている気がします。

過去の凶悪事件から 何も学び取ることができなかった私たち社会に向けて。

 

これから何ができるだろう、私たちに

何ができただろう、私に。身近にそういう人がいたら。

近隣にそういう人がいるかどうかさえ知らないで生きている 私に。

 

「しょうがないじゃないか、知らないんだから」と言っては、何も変わらない。

他人事でしょうか?

  ここで私は、ハンセン病患者が生涯を不当に隔離され続けた国政の誤りを正した

  徳田弁護士の言葉を思い出します。

  『ハンセン病者の隔離政策について、あなたは、加害者でないと言えますか?』

  高校生の頃からハンセン病者隔離の非合理を知っていながら、調べず、動かず、

  声をあげることもせず 無関心でいた私は、間接的に加害者です。

 

また、何の落ち度もない子どもと大人が犠牲になりました。

お二人の尊い命のご冥福を心からお祈りいたします。

大切なご家族を突然失われた 御家族様の悲しみが癒されますよう、

そしていつか平安へ向かわれますよう お祈り申し上げます。

凄惨な体験に遭った子どもたちと親御さんが充分に癒されて、

乗り越えて、人生を豊かに生きて行かれますように、祈り続けます。