60歳をとうに過ぎて尚 「学歴自慢」をする人がいるかと思えば、

老齢を重ねてもまだ「学歴が低い」と劣等感を抱いている人がおります。

本当に学歴が必要であったなら、人生のどこかで獲得することができたのでは…?

学歴を本気で獲得しようと自ら取り組むことをせず、

「忙しかったから・・・」「・・・だったから」と、できない理由は幾らでも言えます。

必ずしも本気で求めてはいなかった結果です。

高齢になっても学歴の低さにこだわるとしたら、

それを与えられなかった「人」や「環境」のせいにしたいから。

大人になった自分が本気で求めなかったことの「言い訳」にしているのです。

しかも、学歴に囚われている間に【大切なこと】を見逃してきたかもしれません。

 

若かりし頃、試験に落ちた痛みを引きずり、今も合格した他者に引け目を感じているなら

もし結果が逆で、あなたが合格していたら、あなたは不合格の人を見下していたでしょう

試験の結果に依存している】 あなただから。

 

親が序列を重んじて比較する人だった・・・? 親のせい・・・?

そこに疑問を差し挟まず、踏襲したのはご自分ではないでしょうか。

齢を重ねて、自分の価値観を いまだに親のせいにするのは残念です。

 

長く生きたら、試験の合否判定する人たちの「目」が必ずしも正当でないことは

経験的に推し測ることができます。

たいして人を見る目のない人が、合否判定をしていることが世間にはザラにあります。

若い頃には何十社面接しても内定をもらえなかった何人もの貴重な人が、

今は第一線で活躍しているではありませんか。

 

【試験の結果】は、あなたの価値を正しく表しているとは限りません。

決して、そうではないのです。

あなたの本当の価値は、紙に書き表せるようなものではない。

深い所に大切に仕舞われていて、

それを見つける目を持つ稀なる人によって 嗅ぎつけられ、見つけられる】のです。

 

私は、その目を持つ稀なる人の一人だと思います。

この仕事をして何が嬉しいって、目の前の人に秘宝を見いだせる時です。

それを本人にじかにお伝えできる幸せです。

 

人は産まれる時も独り、死んで逝くのも独り、

依存によってではなく「自分を信じる力」によって 人と繋がることができます。

「自分を信じる力」は、自己対話し、丹念に自分を耕してこそ・・・

 

試験結果に依存しなければ、人間の価値を知ることができませんか

これからも「試験結果」=「人間の価値」であると信じ、採用しますか

 

試験結果に依存しなければならないか、それとも脱却するか、

自分で選べます。 

何かにあなたが痛く反応するのは、

今こそ 選び直せるよ」と知らせてもらっているのです

あなたは、自分の価値観の基準を 自分で選び直すことができます

試験結果より、もっと本質的な・・・

10年後も20年後も、あなたの力となり得るものが。

 

わが子が受験に失敗したことを「恥」と思うなら、

またはわが子の不登校を「恥」と思うなら、

【その心】から間違いが始まります。 

親も子も、互いに苦しむ道が始まります。目を覚ましてください!

 

「自分ひとり頑張って、大変」と思うのは、多くの場合「驕り(おごり)」です。

周りが見えていない。 何が見えていない?

「お陰様」 調子に乗ると 謙虚さを失い、 道を見失うよ。