スピリチュアルケアを私は臨床パストラル教育研究センターで学び、

臨床カウンセラーの資格を取得しました。

日本スピリチュアルケア学会において認定資格を頂いておりますが、

学会自体は教育養成機関を持たず、5つの養成機関を認め、

そこで認定された者であることが要件となっております。

その5つの機関の中でも、臨床パストラル教育研究センターが

最もカリキュラムが整っていると評価されているそうです。

 

資格更新に向けて、久しぶりに本格的な研修に(5日間)与りました。

 

教室に入ると、初対面の方に声をかけられました。

「この間、全国大会で発表した方でしょう?

『ぺっちゃんこになること』も天から与えられたもの

『ぺっちゃんこになった自分を使っていただいている』って。

それがとても印象に残っておりました。」と。

 

実習は、病院で入院患者さんを訪問して、患者さんと共に居させていただきました。

患者さんの状態は様々で、中には寝たきりで何も話せない方もいらっしゃいます。

何も話せない人にカウンセラーは必要ない? そうではありません。

発することができないことは、生きている者の究極のスピリチュアル・ペインです。

傍らに添って、その方が今出来ていることを見出し、声を掛けながら、共に過ごします。

 

セラピー夢のクライアントさんと話すのとは全く状況が異なります。

患者さんにしてみれば、

「あんた誰? いきなり何? 何しに来たのよ」状態です。

患者さんごとに 訪問の了解を得られたら、

患者さんが今思っていること、感じていることをじっと聴かせていただきます。

 

私が訪問させていただいた一人のご高齢の方は、

アイデンティティに関わる深いテーマを生きておられると感じました。

ただし、その場での私は、「セラピーを承ったセラピスト」ではありません。

ただの実習生です。お願いして実習させていただいている立場です。

初対面の、たった数日間の実習生が、

患者さんの深いところに触れさせていただくことは僭越に思われて

どう反応してよいか、身動き取れないことがありました。

患者さんの前で私はうろたえました。

何やってるんだろう、私。 これで良いのか? 

 

その会話を記録に書き起こし、翌日スーパービジョンを受けます。

スーパーバイザー2人に対し、受講生5人(皆様それなりの方)でした。

銘々から質問や指摘を受けます。

特にスーパーバイザーは核心をついて指導してくださいます。

 

そこで新たな気づきがあったり、過去に何度も言われてきたことが

まだできていない自分だと知りました。

 

まだできていない自分、下手な自分、間に合っていない不足な自分

うろたえて訪問をためらう自分・・・

そんな自分を明らかに知ったことは、大きな恵みでした。

 

スーパービジョンで皆様に言って頂いたことは、

その方を通して私に与えられた「天の声」と受け取れ、

ストレートに翌日の訪問に活かされました。

 

この度は「〇〇先生の研修がある」とお声掛けを頂きましたが、

その先生とは過去に出会う機会がないまま資格取得に至り心残りがありました。

手帳がその5日間だけ真っ白!

「招かれた!」と思いました。

 

まだできていない自分、下手な自分、間に合っていない自分

うろたえて、訪問をためらう自分・・・

そんな自分を明らかにされ、対峙できて、

「招かれた」意味がわかりました。

 

天と地と人の関係で、「どの立ち位置」に自分を置くか・・・が大事です。

「私はわからない」という立ち位置に自分を置かなければ・・・と心しました。

 

相手の気持ちを先取りしない。聴かせていただかなければわからない。

「開かれた質問」とは、できる限り質問しないこと。質問は支配につながる。

対等で自由でいられるからこそ、相手が奥にある大切なものを開けられる

 

その日の帰りに、チャペルに入って、

招かれた意味がわかりました」と感謝を伝えたら、

正面で両腕を広げたキリスト像が、生きているように見えました。

 

少し前にある方から「プライドが傷ついた」話をされ、

そこでプライドが傷つくのは無駄に傲慢だな~、と思ったばかりなので、

自分はプライドが傷ついているか確認してみました。

傷ついておりませんでしたし、卑下もしていない自分でした。

 

ここでプライドが傷つくとしたら、

「こんな自分じゃダメ」という自分の価値観の表れだと思います。

私はそんな自分も受け入れています。

それでこそ 傲慢の落とし穴を避けられます

 

できない自分を天は叱っていないのに、自分が叱っていることがあります。

こんな自分じゃダメ」という妄想に陥って・・・。

 

できない自分、時にはぺっちゃんこになる自分、

わからなくなる自分、うろたえる自分・・・

どれも、私の中の大切な私です。

天のまなざしに自分を照らすために、私はこの実習に招かれたのでした。