朝の祈りの中で、あなた様を思っておりました。

 私たちは、つい「自分の努力で」「当たり前にやった」と思いがちですが、

実は『与えられ、与えられ、どこまでも与えられ 生かされている』存在なのですね。

ところが「当たり前」という色眼鏡をかけて自分を見ていると、

当たり前に出来たことの裏側の、

『与えられ・・・、与えられ続けてきたもの』は見えなくなってしまいます。

そこから心のバランスを崩すことになるように思います。

 

「そんなこと、誰だってやってる」という思いは、ともすれば

真実を目隠しされた挙句の 傲慢 なのかもしれません。

 

世知辛い娑婆世界を共に生きながら、

『与えられている』ことへ意識が向いているかどうかが、

人の「幸・不幸」を分かつのではないかと思います。

『今 与えられているもの』に気づく感性を大事にしたいです。

当たり前のように差し伸べられている『恵み』に気づく先に、

自己肯定感があるように思います。

自分を、ありのままに受け取ってあげなければ、自分自身に失礼な気がします。

今もあなたの体の中で、頼まれなくても働き続けている臓器たちにも失礼では・・・。

 

老婆心ながら、お伝えしたいと思いました。