自分を見失って不安定な状態にあった人が、回復したらどんな感覚になるでしょう。

「この頃 自分のエネルギーを感じる。

 エネルギーは 軸を持たせてくれるような感覚。

 これからどうしたいか、どうしたらいいかわかるような・・・。

 怖れや不安、窮屈な感じがなくて、自然な心地よさ。」

 

例えばこのように表現されたことがあります。

ケアされて回復した状態に慣れないうちは、

「この感覚は、今だけの一時的なものでしょうか?」と訊かれます。

 

いいえ、常態です。

回復して自分自身につながっている感覚で、これが「回復した」感覚です。

長年、理不尽な思い込みに囚われた人は、特別な感じに思えるかもしれませんが、

これは常態なのです。

 

そして、この感覚を常態として馴染んでいかれるには、

「つながっている感覚」「エネルギーを感じる」状態をよく味わって

覚えることです。

一日の中に【静謐に身を置く時間】(瞑想)を作って、

それを味わい続けることで強化されます。エネルギーをチャージできます。

こうして自分自身につながっている状態が当たり前になります。

 

「時間がなくて できない」と即答するなら、その人は

本質の自分につながる大切さを知らないのでしょう。

 

回復した若いお嬢さんに質問されました。

「多くの人は過去の記憶に囚われて、未来へ進むのに躊躇すると思いますが、

高橋さんは【過去】も【未来】も両方バランスよく持っているように見えます。

どうしてそれができるのですか?」

 

何という質問でしょう! 

こういう質の高い質問に逢うと私は深い喜びを感じ、惜しみなく与えたくなります。

 

確かに多くの人は辛い過去の記憶に囚われて自由を失いもし、

過去の栄光にひたって現在を見失ったりもするでしょう。

なぜ私は、【過去】に囚われず【未来】へ向かえるのか?

ある時点で、自分で決めたから です。

過去の全ての体験が活かされる生き方をしよう!』と。

 

するとお嬢さんは言いました。

「高橋さんは、その決断を ずっと維持してきた・・・ということですか

 それは滅多にできないことではないでしょうか?」

良い質問ができる人は聡い! 確かにそうかもしれません。

 

私が人生の大事な局面で決定したことの幾つかを維持してこられたのは、

それができる!と確信して決めたから』です。

『できると信じたから』です。『できるとわかっていたから』です。

【信じる力】は非常にパワフルで、良くも悪くも実現に導いてくれます。

 

しかし、誰かに「信じることができるのはどうしてですか?」と訊かれても

答えようがありません。それは様々な体験をして独自に培われたもので、

信じ方を教えることはできないし、真似してできるようなものではありません。

 

れでもどうしても何かヒントをと言われたら「良かった探し」をお勧めします。

私たちは、どこまでも与えられて、与えられて、

何もかも当たり前のように 与えられて 生かされています。

当たり前に思えることに意識を向けて「ありがたい」と感じる積み重ねが、

こんなにも与えてもらって 愛されている自分>を信じる助けとなるでしょう。

(夜、電気を使わせてもらえない境遇で育った私の目には、

「あれも これも 与えられた恵み」以外にないのです。

そんな境遇にさえ、獲得できることがありました。すべてが教材でした。)

 

本当に大事なものは、自分で体験して、獲得するしかないのです。

人生を支える大事なものを獲得するとは、そういうことだと思います。

体験して獲得する】ためにこそ、私たちは生きているのだと思います。

 

もっと付け加えますと、

生きて体験する道筋には、「失敗」も「挫折」もあるかもしれません。

それは、「失敗した」「挫折した」と受け取る人にとっては「失敗」「挫折」で、

受け取りようによっては、獲得するための【教材】になります

自分の考えに『本当にそうだろうか? 他の受け取り方はないか・・・』と問いながら

視野を広げる思索も 教材になります。

 

不安になったら、「不安」に訊かないで「本心」に訊きましょう

自分と繋がっていればそれができます。

 

(例えば人生を・進路を選択するのに)

失敗してはいけない」と言い聞かせながら生きている人は、弱い人です。

<失敗したらどうしよう>と、怖れて身構えていると、

いざ失敗したら人生の終わりであるかのように挫け、次は

<また失敗するのではないか>と怖れて、先へ進めなくなり、

怖れのループにのみこまれてしまいます。

失敗から学んで成長できた体験がない人は、かくも弱い・・・

 

どんなに充分に自問した選択でも、過ちもする・・・それが人間ではないでしょうか。

失敗も挫折も、そこから【学びを獲得】できれば、怖れはなくなります

間違えたら、体験から学びを獲得して、次へ進めばよい。

それが【自分の体験に精通する】ということです。

他の誰でもない自分が体験したことから、苦しみを無駄にしないよう十分学び取りましょう。

「体験」を【教材】にするか「愚痴」にするかは、自分の覚悟次第です。

 

過ちを責めて自分を鞭打つだけでは、反省したことになりません

むしろ、「それで反省したことにして」自分をごまかし、

過ちを正視して そこから学ぶことを避けているのです

苦しみを、無駄にしているのです。損です。

 

何度でも言います。

間違えたら、体験から学びを獲得して、次へ進めばよい。

【体験して獲得する】ためにこそ、私たちは生きているのです。

そのようにしてこそ、人生は豊かに人を育ててくれます。