「そんなことも 人に言われなければわからない私なのか?」

と自分を情けなくなることがあります。

分別できて当然の年なのに、人に言われて 気づくことがあります。

恥じて 傷みます。自分を叱りたくなります。

そんなこと、人に言われなければ 本当にわからなかったのか?

私は、なぜ言われたのか?

相手に言わなかった言い分があります。

その言い分を、あえて自分の中で言ってみます

「合意がほしかった。

 一人で勝手に決めた為、後悔することのないように

『できない』の一言でもいい、言ってほしかった。」

 

「今できない」と相手に言わせるのは「気が利かない」ことかも…。

それでも、ひと言意思表明してほしかったのは、

やはり気が利かない、察しの悪い私だったか…。

「察し」が主観に依って結果誤るのを危惧したばかりに…。

 

相手の言い分を汲んだうえで、

私にも言い分があることを自分の中ではっきりさせました。

叱るのをやめて、

<きついひと言を受ける未熟な自分>をねぎらいました。

 

気持ちって、なかなか相手に伝わらないものだな…。

きっと相手もそう思っているでしょう。言わなくてもわかってよ!と。

 

相手も いっぱいいっぱい、私も いっぱいいっぱい、

こんな時は、そっと距離をおいて、

時をおけば、何の屈託もなくまた笑って話せます。

私が与えた痛みにも黙って耐えてくれた人だとわかっているから。

 

自分の痛みを、できる限り自分の中で完結するのが私の主義です。

友人Aからの言葉による痛みを、友人Bに言うことはありません。

(心の丈夫さは 信頼できる自分です!)

自分の中で内省して、あとは「時」にゆだねます

 

「私ってバカ」「自分を責めちゃダメ」

いろんな思いが去来するけれど、

ぐちゃぐちゃ考えない。

自分の感情に人を巻き込まない。

感情の深みにはまらない。

自分の言い分を確認したら、こだわらなくていい、手放します

 

どうやって?

太陽に向かって目をつむり、

瞼の裏側に日光の色合いを感じながら、

ありがとう。ごめんなさい。ゆるしてください。愛しています。」

と繰り返しました。

自分の中のモヤモヤが 柔らかく解けていくようでした。

今日のお日様、ありがとう。

 

…考えない、と禁止するよりも

他の課題(4つの言葉を思う)をさせる方が 切り替えられます。

 

こんな日は、気持ちが弱くなった こんな日は、

気持ちが弱くなった人の敏感さを感じられます

言われたくない言葉がわかります

調子に乗っている時には気づけないことに気づきます

今日は、そんな日、これもギフトでした。

 

でも、このブログを読んでくださる方へ、

揺れる思いを自分で完結できない時には、

信頼できる人を選んで 言ってもいいのですよ。

 

大丈夫、私のように 何度も何度も しくじっていると、

段々 心が丈夫になってくるからね。

それに、どうしても どうしても自己完結できない時は、

セラピー夢がありますよ。

私はいつもここにおります。