駄目駄目な相手を強い言葉で責めたら、怒鳴られた・・・

傷ついた・・・相手はこんなにひどい!

相手は、「自分の限界」を認めることができない人だろうと思います。

ガツン!と言われて傷ついて

「他の誰かのせいにしなければ自分を持ちこたえられない被害者意識」から、

自分を正当化したくて あなたを責めたと思います。

(自分の限界を責められて、相手の限界を責めたようなもの)

つまり、壁にぶつけたボールが自分に跳ね返ってきたようなものです。

 

相手がどんなに駄目駄目な人でも、言い方を工夫する必要がある理由は、

【相手に理解してほしいから】だけでなく、

自分に跳ね返ってくるもので自分が傷つく】ことを防ぐためです。

さらには、【そんな時、どんな言い方をする自分で在りたいか】

自身の在りよう(怒り方)が問われる場面です。在りようを大切にする人なら。

 

被害者意識(自己憐憫)』は【落とし穴】で、そこから先には進めません。

だって穴の中ですもの。

落とし穴に、「まちがって落ちた」のです。

落とし穴に落ちる癖があると知っておくことです。(自分を知る

『被害者意識(自己憐憫)』を自覚して、

【落とし穴に落ちた!】【まちがって落ちた】と自覚することです。

実況中継

自覚して、「何がまちがっていたのだろう」と周囲と自分を見直すため

穴から首を出して、穴から出ましょう。

「相手のせいで傷ついた」と思いたければ、穴の中でどうぞ。

 

「自分が傷ついた」ことはわかりますが、

「相手を傷つけた」ことは感じにくいことがあります。

自分が傷ついたら、同じ痛みを相手も受けたかもしれないと思ってみましょう。

(限界を責められたら、誰でも傷つきますよね。)

 

限界を自覚できない人がどんなに「残念な人」か、相手が見せてくれています。

今のうちに学ばせてもらいましょう。

どんな人にも限界はあるのですよ。立派に見える人にも、誰にも。

例えば(自分に見落としがあるのに)「相手のせいで私が損する 犠牲者意識

例えば「他の誰かのせいにしなければ自分を持ちこたえられない被害者意識

厭な人の中に、自分と共通項を見つけることは少なくありません。誰でも。

「自分の鏡」ってよく言うじゃありませんか。

あんな人が私の鏡だなんてとんでもない・・・と反発するんです、誰でも。

めたくないんです、誰でも。私も。皆そう。

(駄目駄目の程度の差など 問題にしなくていい)

 

できることに限界がある、まちがいもする…それが人間なんですよね。

それでも「〇」なんです、お互いに。みんな〇。しょうがない・・・お互いに。

できないことや苦手を持ち合わせた人同士が 組み合わさって動いているのが社会

自分にできないことがあるように、相手にもできないことがあるよね。お互いに。

私だって、たくさん我慢してもらってきたな。

犠牲になってくれた人のお陰様で 私は今こうしていられるのかもしれません。

それがわからない人が、「自分が犠牲者、被害者」と思い込む・・・。これ【落とし穴

よくあること

別名「自己中心」って言いましたっけ? 自分の側からしか物事が見えない人のこと?