ご家族やお身内に重篤な病気で 予後が不安な人があれば、

心配のあまり ひどく気落ちして 心身ともに疲弊します。

しかし、【心配】するよりも 祈りましょう。

 

ただし、自分の何かを引き換えにして

「私が身代わりになりますから〇〇を救ってください。」と祈れば、

いつかその通りに 実現されることがあります。

身体は心の声を聴いているからです。駆け引きはいらない。

 

ご病気のその方へ『感謝の祈り』を捧げましょう。

その方の存在あるがゆえに「嬉しかったこと」

「助けられたこと」「勇気づけられたこと」「慰められたこと」

ありがとうの気持ちを十分に伝えてきたでしょうか。

今こそ心から、具体的に、『ありがとう』の祈りを捧げましょう。

 

たとえその方が今は寝たきりで 身動きできないとしても、

あるいは意識不明でいらっしゃっても、

動けた時まで動いてくれたお身体に、

『ありがとう』を言ってあげましょう。

今は自由にお祈りできないかもしれない その方の分まで、

それまで頑張って働いてくれた身体の隅々に

『ありがとう』を言ってあげましょう。

心の中で言っても、祈りは一つの無駄もなく通じます。

 

祈っても、祈っても

医師が最良の医療を用いても、

命は『神様とその方』の間の決め事です。

どんなに愛しくても、どうにもできないことは、

『最善へ向かう天の采配』へ委ねましょう。

委ねることも「祈り」です。

 

親の介護を今から心配して、気苦労のあまり疲れ果て、

大切な「今日の時間」を汚してはもったいない。

親の介護へ臨む気持ちを見つめ直し、整えて、

できることはできる、できないことは 誰かができるように

必要になった時に考えらればいい。

今から万全に決めておかなくていい。

先のことは、状況次第で変わるから。

 

それよりも今は「今日の時間」を大切にしましょう。

 

あなたが共に生きたご家族の、

「好きなところ」をいくつ言えますか?

どんな「価値観」を持っているかわかりますか?

 

10年育てたお子さんの、どんなところを「自慢」できますか?

20年育てたお子さんの、どんなところが「好き」ですか?

答えられない・・・?わからない?

それがわからないなら、あなたは今まで子どもの何を見てきたの?

 

 

30年共に生きてくれたパートナーの、どんなところが「好き」ですか?

パートナーがどんな「価値観」を持っているか わかりますか?

それがわからないなら、今まで相手の何を見てきたの?

共に生きて、【見落としてきたもの】を・・・知らなくていいですか。

知らないで人生を終われますか?

 

どんな思いを我慢してもらったか、

どんな気持ちで ゆるされていたか、

どんな時に折れてもらっていたか、

言葉では知ることのできない『相手の気持ち』を

わかりたいと思う「あたたかな心」が ありますか?

 

「今日という時間」を大切にしましょう。

明日がある保証は誰にもありません。それが「生きる」ということ。

これまで考えたこともなかったような見方で、周りを見直してみませんか。