人は、自分自身と どう折り合って生きているのでしょう。

私たちは、次の3つのレベルの「関係」で折り合うことを学びます。

(1)自分と自己との関係

(2)自分と他者(社会)との関係

(3)自分と神との関係 (神…サムシンググレイト)

 

(1)自分と自己との関係 について

「社会に最も多いと思われる方々」は、

『自分と自己との関係』 と言われてもピンとこないと思います。

「何それ? 考えたこともない。」と反応なさるかもしれません。

 

「自分」の在りよう に悩んだ人は、これがわかると思います。

読みながら、意味をつかんでいただければ幸いです。

 

多くの方々は、『他者の評価を判断基準としております。

それを「常識」と思っていおられるかもしれません。

人にどう思われるか、

人に何と言われるか、

人と比べてどうか、

「変わってる」と言われないか どうか、

収入(成績)が高いか 低いか、

学校や就職先のランクが 高いか 低いか、

社会的ポジションが 高いか 低いか、

家柄が 高いか 低いか等…、

「誰かと比べる基準」に依存して 価値を判断します

そして、『他者の評価』(人の目)を恐れます

(この恐れが極端になると、対人恐怖に向かいます) 

 

この段階から抜けて ステップアップするには、きっかけが必要です。

そのきっかけは、多くの場合、

順風だった人生では なかなか真実に目覚めることができなかったが、

地位・健康・命・大事な人・家庭・変わるはずのなかった生活基盤などの

喪失を伴う 「自分の努力では どうにもならない苦しみ」に直面し、

尊い『目覚め』を体験することが多いようです。

 

多くの苦しみは、

『他者の評価』を判断基準とするあまり

自己の基準を見失う】ところに始まります。

人の目を恐れて、自分を見失うのです。

 

あなたは、他の誰とも比べることもできない 【特別な人】なの。

あなたが体験したこと、そこで感じたことは すべて、

誰でもない あなたの 特別に大事なものなの。

親が資産家でも、資産がなくても、

親が立派な人でも、劣った人でも、

兄弟が高学歴でも、身内が犯罪者でも、

不登校でも、成績優秀でも、

 

そんなこと あなたの価値には 何の関係もない

 

あなたは、他の誰かと同じようにならなくていい。

そのままで 成長途中のそのままで 充分に素晴らしいのよ。

 

成長途中の自分を 丸ごと認めて仲良くできることが

『自分と自己と折り合うこと』…すなわち 自分と仲良くすること 

 

誰かと同じようにできない自分を 叱らなくていい。

失敗したら、「さぁ、どうしたらいいか」と後始末を考えればいい。

 今度もし同じ状況になったら、「次はどうしたらよいか」学べばいい。

そうやって 成長していく自分と仲良くできればいい

 

完璧でなければならない…と自分に厳しい人は、自分と衝突し、

完璧でない他者にも厳しくなり、他者とも衝突します。

自分を応援する人は、他者にも同じ眼差しを向けることができます。

 

このように、

自己との関係(1)は、そのまま他者(社会)との関係(2)に現れます。

 

  私は年数をかけて仏教を学びましたが、宗教団体には所属しておりません。

  セラピー夢は、宗教団体とは無関係です。

お釈迦様が命の終わりを迎えようとしている時、お弟子さんが尋ねました。

「師がいなくなった後、

 私たちは何を拠(よ)り所に生きて行けば良いのでしょうか?」

 お釈迦様はおっしゃいました。

自らを灯明としなさい。 法を灯明としなさい。(自灯明 法灯明)

 

『自らを灯明とする』とは、

 他者の評価に拠(よ)るのではなく、自分自身の評価を信じなさいと言う意味。

 ですから、信じられるような自分を育てることが 人生の一大事です。

これが、自分自身と折り合っていくことです。

自分を信じられる心は、穏やかで落ち着きがあります

(ここが 六道の中の「人間(道)」…後で出てきます)

 

世間で幾度も理不尽に遭いながら、

「本当は、こんな扱いを受けるような自分じゃない」と感じる

【根拠のない自信】…【隠れた誇り】これは とても大切 です。

潜在意識は深いところで 自分の本当の価値 を知っています。

巷の雑音に汚れるうちに、真実が雲で覆われ、

自分に価値がないような錯覚に陥るのです。

自己否定感はすべて錯覚です。

 

『法を灯明とする』とは、 (法…法律のことではない)

 真理・真実に照らして 自分を見つめなさい…という意味です。

 

ここで、法(真理)を灯明とするために、一つの真実をご紹介します。

 

仏教で「六道(ろくどう・りくどう)」 (六界・六趣とも言う)と言えば、

様々な解釈がありますが、

私は、現実世界を生きる私たちに活かせるように 解釈します。

 

私たちは誰でも、「6つの心の状態」をコロコロと行き来しております。

 

「地獄()」…怒り、争いが止まず、際限なく苦しみもがく状態

「餓鬼()」…むやみやたらに欲しがって、果てしない欲に悩まされる状態

「畜生()」…愚かさに支配され、感情に任せてコントロールを失い周囲を苦しめる状態

「修羅()」…怒りの感情に支配されて、争いごとに苦しむ状態

「人間()」…気持ちが落ち着いて、自分を客観視できる状態

「天()」 …歓喜し、浮かれて、自分を客観視できない状態

 

生きていれば色々なことが起きて、私たちの心は常に動きますが、

以上の6つの状態の中で、「人間」が最も重要な状態です。

これが、自分と自己が折り合っている状態で、

ここからのみ、成熟へ(解決へ) ステップアップすることができます

ですから、ハイになって浮かれても(天)、怒りに激しても(畜生)、

ブレた自分を できるだけ早く「人間」の状態に戻すことが大事です。

 

「天(道)」からもステップアップできるように思われるかもしれませんが、

歓喜の状態は 一時の仮の状態です。

ステップに見える「落とし穴」にご用心

浮かれた心の時こそ、大事なものを見失い、転落することがあります。

人を傷つけることがあります。

 

叱られたから 自分が悪い、 自分は認められない劣った人…

自分自身との関係(1)において、

本当にそうでしょうか?

 

『真実の眼差し』で客観視すれば、必ずしもそうではないかもしれません。

世間的評価と、真実の眼差しの評価は真逆~ということがあります。

(聖書にも書かれているとか)

 

社会的ポジション = 成熟度 ではありません。

派遣社員だから、パートだから、社員より下…

世間的にはそうであっても、

だから言い返せなかった…としても、

あなたを叱った人よりも、あなたの方が成熟度が高く、

相手の気分で 不当にトバッチリを受けたのかもしれません。

よくあることです。

仮に立場が逆だったら、相手に同じことをする自分か…?

本当に自分が反省しなければならないことがあるか、不当な出来事か、

「人間()」に立ち戻って、静かに吟味してみましょう。

そして、心の中にある 自分の言い分を確認していいのです。

自分を押しつぶしてはいけません。

  『この考えの他に どんな見方ができるだろうか?』と自問してみるといい。

  そうやって、他の考えに耳を傾けるようになると、

  価値観が広がって、広く考えを吟味できる…それが成熟への道です。

 

たやすく 自分を否定しないでください。

自己否定感は、無意識に 我慢の限界で 症状を創り出します。

 

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このブログをお読みくださったお若い方が、

「ちょうど今の自分の課題と重なった」と話してくださいました。

 せっかく友だちと会えた日なのに、もやもや が残ったそうです。 

自分を下げて話した後は…疲れる」と感じていたと。

 

相手が自分を下げて話している時は 自分も下げて話さねば…

しかし、後に違和感が残って もやもやした… 。それは、内側で

下げて話された本当の自分」が違う! 」と抗議しているのです。

本当の私は、そんなに卑下されるような自分じゃない。

本当に話したいことを ちゃんと話してよ! と。

 

本当に話したいことを 押し隠さないで話してみたら、

友だちも実は 自分を下げて話していることに違和感があったと知りました。

本心で話したいと思っていたのに、

自分を下げて言う癖」が出てしまっていたのです。

お互いがそこに気づいて、より一層コミュニケーションが深まったそうです。

以上、本人の了解を得て紹介しました。