経験こそ、私たちに多くのことを学ばせてくれますね。

私たちは、「経験」したくて生まれてきたに違いありません。

何のつまづきも不満もない いわゆる平穏な過去世を追体験した人は

同じことを言います。

「つくづく つまらない人生だった。もっと色んな経験をしたかった。」

 

私たちは当然のように、自分に不都合なことは「悪いこと」、

都合の良いことは「良いこと」と色分けしがちです

起こる出来事には「良い」も「悪い」もなく、元々「中立」なのに、

私たちが勝手に色分けしているにすぎません。

 

どうして? なんで?』という問いは、自分を不幸にします。

『何のために?』と自問し、

『これにはきっと訳がある。ここから何を学べるだろう。』と

受け取ることができないでしょうか。

 

親友から絶交されて凹んだ翌日、クライアントさんがおっしゃいました。

「子どもの頃からの親友に絶交されました。立ち上がれません。」と。

 

失敗して落ち込んでいた翌日、クライアントさんがおっしゃいました。

「大失敗してしまいました。降格されそうです。」と。

 

信頼していた人の、陰湿な裏切りに気づいて大きく揺さぶられた翌日、

クライアントさんがおっしゃいました。

「家族同様に育てた人に裏切られました。ごっそり持って行かれました。」と。

 

誠心誠意築いた結果を叩き潰されて、ペッチャンコになった私の前で、

クライアントさんはおっしゃいました。

「全力で尽くした挙句に・・・されました。私の人生は何だったのでしょう。」

 

ペッチャンコになるように与えられ、「ペッチャンコの私」を遣って頂きました。

 

あたかも お会いするクライアントさんの痛みを

我がことのように知れとばかりに…あらかじめ用意され 与えられ、

「経験」させて頂きました。

 

数々のいじめも、様々な立場で受けたパワハラも、

今となっては人間理解の助けとなっております。

過去のものとなって客観視できるようになってこそ

「新たに見えてきた真実」があります。宝物です。

 

何もかも与えられ、全てを与えられ、尚も与えられ、

生かされて遣って頂いております。

声が出せなければ 私の仕事はできなかった・・・。

耳が聞こえなければ、やはりできなかったと思います。

目が見えなくても大変不自由でした。

動く脚、動く両手のお陰様で、

働いてくれている内臓のお陰様で、遣って頂いております。 

頼んだわけでもないのに、頼む前からずっと・・・働いてくれていた身体。

 

住む家も、家族も、食べる物も飲み水も、読む本も 見える目も、

出会いも、・・・全て授かったもの。

授かったものに囲まれている。

 

当たり前のように ひっそりと 気づかれないように いつもそこに・・・

こんなにも静かに「愛」を頂いておりました。

今日も、感謝しかありません。

 

怖れも保身も手放したら、あとには「感謝」だけ・・・。

 

体調不良の原因はトラウマかもしれません。解放をお手伝いさせて頂きます。

「自分探し」をご一緒させて頂きます。

「セラピー夢」がここにあります。私はいつもここにおります。