無茶な話

「予算がなくて、一度のセッションで自分を変えたい。」と、

必要なアドバイスは一度に全部伝えてほしいと メールを頂きました。

このようにお思いになる若い方は他にもいらっしゃるかと思って、ご紹介します。

 

その時のご自分が受け取れるものは、

最大限に体験していただけるように 心しております。

 

それでも、人間の成熟には「潜在意識」の関わりが大きく

(私ではなく) 人知を超えたところから与えられているのです。

受け取れる【時】に、 受け取れる【こと】を、 受け取れる【嵩(かさ)】で

ですから、

どんなに求めても、【自分の器】以上のものは 受け取れない…。

受け取りたければ、自分の【】を拡大するしかない、

それには【時間】が必要です。

 

「今すぐ、全部!」と言われても、無茶なことです。

無茶を通せば、受け取れたはずのものまで 放り出しかねません。 

 

そうお伝えしても 尚 強く 求められ、

(応じなければ、私が不親切をしているような気になって)

絞り出せるだけのものを メールでお伝えしました。 

 

…気に障ったかもしれません…。

 

受け取れない【こと】を 受け取れない【嵩】だったのでしょう…。

だから言わんこっちゃない…。

受け取れないと、「怒り」を生じがちです。

 

そうなると、

せっかくセッションで体験できたことまでも恨めしくなり、

防衛本能が、受け取れないことによる「痛み」を避けて

「なかったこと」にしたがるのです。

 

今の自分に見合った【こと】を、ふさわしい【】に、

ふさわしい】で 段階的に受け取れるのが一番身につくのでしょうね。

潜在意識の働き方・与え方は 絶妙に そうなっているようです。

無茶しなさんな。そんなに焦らなくても、

『自然の成り行き』という大船に乗っていればいいのでは?

かく言う私も、少しずつ 段階的に成長させてもらいました。

 

 

伝わらなかった話

「高橋さんが今まで 一番悩んだことは何?」

言葉に詰まりました。

「悩んだこと…?」

何か答えなければ…と思って、「自分の性格」と答えました。

 

(心の声)

どうして、こんなことを訊くのだろう?

私が「悩みのない 幸せそうな人」に見えるから?

「悩んだこと」と「苦しんだこと」は同じではない。

耐えるしか 悩みようのない こと がある。

 

仮に私が 人の目に幸せそうに見えるとしても、

その陰にあった苦難の積み重ねは、感じとれる人にしか わからない。

幸せそうに見えることが 相手の「何か」を刺激したとしても…

私にどうすることができるだろう。

 

私の「苦しみ」は、どれをとっても 何十年間も耐え忍ぶ道だった…。

悩んでも どうすることもできない状況を

これまでにも お茶を飲みながら 話してきたはず…、

今こうして、道を歩きながら話せるような内容ではない、重くて…。

 

虐待的環境で育つということは、

≪ある時、誰かに、酷いことをされた≫のが つらいのではない。

≪人をいたぶっても良心の呵責を感じない人≫を親(養父母)として、

逃れるすべもなく、誰かに助けを乞うすべもなく、

いつ何をされるかわからない≪関係性≫を じっと耐え続けることだった。

 

しかも、異常な親を使って、私を虐待するように指示した人がいた。

親はその人の指示のままだった。

その人は、親戚中に作り話を広めて、私を悪者に仕立て上げた。

子どもの立場では、釈明することができなかった…。数十年間 耐え忍んだ。

 (釈明できなくても 結果的にはよかったのだが)

 (虐待を指示した人は、多くの人々に「偉い人」と思われ人望があった。  

  そういう人が裏で行っていることを 私は子どもの頃から知ることができた。

  それを聞いて真に受けた人々も、皆 高学歴で社会的に立身していた。

  こういうことが度重なって、「偉い人」とて何ほどの者よと思うようになった。

  人をあがめることなく、

  誰もが【様々なものを持っている人】と覚めた目で見ているところがある。)

 

学校では担任に無視され、クラス全員が私を無視するように仕向けられた。

3年間 同じ担任だった。

私はいつもニコニコしていた…それが孤独を耐える手立てだった。

 

中学では、上級生からの嫌がらせもあった。

中学~高校までの6年間、一つ屋根の下で両親にシカトされ、いたぶられた。

就職してからは、一つのミスが原因で、上司のパワハラに遭った。1年半耐えた。

 

結婚してからは、別な苦難が次々に待っていた…などと、

こうした困難の連続を、道を歩きながら おしゃべりできない。

 

今まで喫茶店で話したことは、

 聴いてもらっていなかったように感じられた。

 伝わらなかったのかもしれない。

自分が話したことだけが残って、リフレインするのかも、相手の話より。

それは誰にでも あると思うけれど…。

 

外見が「ほんわかして 苦労知らず」に見えるからと言って

語られないから、苦労を知らない人だと見なされたの、私?

それを問い返して、「私は苦労を知っている人です」と伝える意味ある?

 

私を≪値踏みするため≫ではなく、

の苦労にどんな価値を見出せたか知りたい…

 そういう友であったと 思いたい。

 

それから もう一つ、訊かれました。

ギャンブル狂の昔の男の話から、

「ギャンブルは絶対 治らない‼ 

 ギャンブルをきっぱりやめた人って、います?」

 

「います

即答したら驚いて、即座に返されました。

「そういう人には、何て言うんですか⁉」

 (私がセラピストだと知っていて、

  そういう人に何を言って相手を変えるのかという意味)

 

(心の声) 

言い方に剣があって 小馬鹿にされている。

私が何か言ったから、じゃなく、

本人が変わりたくなったから…だよね。

こう言えば、こう変わる…という 方程式じゃないんだけどな。

 

「セラピーには、マニュアルがないのよ。

 こういう時に、こう言えばいい、っていうマニュアルはない。

 know-howじゃなく、やり取りしながら互いの間に紡ぎ出されるものなの。」

 

「本人が変わりたくなったからじゃない?」 

この大事なひと言を言わないうち、信号が青になって歩き出すと、

ほどなく相手の目的地に着いて、話はそこまで。

きっと 何一つ通じなかっただろう。

 

 (心の声) 

「そういう人には、何て言うんですか?」

どうして、あんな剣のある訊き方をされたのだろう? 

 

る時、言葉を投げつけて 離れて行った人。

何一つ、話したような気がしない…。

「友だち」って いったい……?

 

もしかしたら私も、相手の話を聴けていなかったのかもしれない。

私だって 同じ思いをさせていたのかも…。

 

誰かが 私と話して、

『何一つ、話したような気がしない…。』と思われたら 致命的!

自戒しなければ! 

これを肝に銘じるよう 神様が下さった「ご縁」だったに違いない。

 

親しくしていた時は 無難にスルーしていた齟齬(そご)が、

離れてから クローズアップされてくることがある。

さぁ、どうする 私? 

親しい人に齟齬を感じたら、今度はどうしましょうか?

 

 

風変わりな電話

「ホームページ見たんですけど、何やってる人ですか?」

  (ホームページもブログも まだ読んでいない とのこと)

 

「こんなに高いお金取らなきゃ できないの? それで、お客来てるの?」

 (全国からおいでいただいております。海外からも。)

 

「そんなに有名なの?」

言葉に詰まって、もう嗤(わら)うしかない。

年の頃、決してギャルではありませんでした。

(心の声)

勘弁して下さいよ~

もう 誰も叱ってくれませんよ。