催眠セラピーを受けてくださった方から体験談をお寄せいただきましたので、

ここにご紹介いたします。

 

ここに書いてくださったことは、当日のセラピーの一部分です。

「マスター」とは、自己の存在の根源的な聖なる領域にあって、
自分の全てをわかって、守り導いてくれている「愛そのもののエネルギー体」です。
催眠状態で行われるマスターとの対話は、潜在意識が深く関与した自己対話です。

 

これからの生活の中で、気づきの体験はもっと熟成していかれるのでしょう。

楽しみです。

 

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私は、職場で、協調性がなかったり自分勝手な行動をとっている人を見ると、

怒りが湧く半面、羨ましいと思っていました。

私も、自分の気持ちのままに動きたい、でも できない。

 

人の目を気にして、周囲に自分を合わせているうちに、

他の人からいろいろなものを背負わされ、

身動きがとれなくなり、

やりたいことをやる気力さえなくなってしまう毎日を、

ただ鬱々と過ごしていました。

そんな自分が悔しくて情けなくて、私は高橋さんに助けを求めました。

 

疲れ切って、こんなつまらない人生なら終わってしまった方がましだ、と

催眠状態でマスター(大いなる内的存在)に叫ぶと、

マスターは、私に、

“与えられたことを成し遂げるためには、わがままになっていいのだ”

と言いました。

 

わがままになっていいって


そんなことをしたら周りから嫌われて余計に辛くなる


そう問いかける私に、マスターはこう答えました。


『お前の助けを待っている人達がいる。
その人達のために、お前はたくさん学んだり、
本来の仕事を熱心にやらなければならない。
それができなくなるような気力や体力、時間の使い方をして何になる?

人の目を気にして、やりたくないことをやって、本来の道から逸れていたら、
お前に助られることを待っている人達を、助けられないではないか。


お前自身の使命を果たすために必要な気力、体力、時間を守ることは、
傍から見たら“わがまま”かもしれない。


しかし、それはお前の本来の道を進むために必要な“わがまま”なのだから、
誰に気兼ねをすることなく、大いに“わがまま”になりなさい。


不安になることはない。本来の道を進むお前を、私はいつも守り導く。』

 

そういう意味があっての“わがまま”だと分かって、私は目から鱗が落ちました。

私にしかできないやり方で、助けることのできる人達がいて、

その人達のために学び、仕事をし、周りからどう思われようと、

私自身のやり方を通す。

考えたらウキウキしてきました。

何かあってもマスターが守ってくれる。なんと心強い

 

私は、わがままになることを自分に許しました。

そうしなければ、助けを待っている人達を助けられない。

 

聞く度に憂鬱になっていた後輩の愚痴や、私の仕事の邪魔をする隣の人の無駄話も、

もう聞かなくていいんだと思ったらすっきりしました。

嫌々参加していた職場の飲み会は、私が最後の幹事をする次回をもって、

参加しないと決めました。

 

そして実際に、仕事や帰宅を急ぐことを理由に、後輩や隣の人と距離を置いてみました。

最初は怖かったですが、特段の支障はなく、
彼女達は話を聞いてくれる別の人を見つけて、
その人を相手に話していました。

それを見た時、私が全て引き受ける必要などなかったのだと安堵しました。


もしかしたら、私が距離を置いたことを陰で言っているかもしれません。

でも、それがなんだというのでしょう

以前には考えられない、心の底から力が湧くのを感じます。

 

40数年間、私は周りとの調和を考え、自分を押さえつけてきましたが、

それで自分らしい生き方をしていると思ったことは、一度もありません。

 

今までとは180度違う生き方をすることが、私らしい生き方につながる。

そう思うとワクワクします。

 

今回の高橋さんのセッションの後、
私は人生が希望で満ちていると感じました。

体と心と頭が、動きたいと言っています。
出勤が楽しみで朝を迎えます。  



(10日後に頂いたメールより追記)

あれから、“こういうことだったのか!”という気付きが急にありまして、

高橋さんにお伝えしたくてメールしました。
 

前置きが長くなりますが。

先週末、香取市にある「伊能忠敬記念館」に行ってきました。

その館内のミニシアターを見ていたら、最後に忠敬のこんな言葉が流れました。


「チャンスをつかむことと、才能を発揮する場を作る努力をすることだ。」

 

特に後半の「才能を~」の言葉が、その日からずっと頭の中でこだましていました。


そして、今までは与えられた場やポジションで自分を磨いていけばいいと思っていたけれど、

マスターから「わがままになっていい」と言われたことが、今日になって

この忠敬の言葉のことだったのか!と気付いて、鳥肌が立ちそうになりました。

 

わがままになって、自分の才能を発揮する環境を作って、

そしてちゃんと才能を発揮して、周りに良い影響を与える。」

↑マスターと忠敬の言葉を私用にアレンジしてみました。

 

わがままになることが、人様に還元できることにつながるか

そこが単なる「わがまま」との違いになるのだと思いました。

今までは「わがまま」と言われると、いけないことを指摘されたと思っていましたが、

その人は深い意味などなく「自分勝手」と思って言っただけで、

本当は、私にとって大切な「わがまま」だったかもしれない、と今は思います。

 

明日から新年度が始まるにあたって、今日このことに気付けたのは、

マスターからの大きな贈り物と思います。

ちゃんと見守って導いてくれているのですね。嬉しいです。

 

マスターからのメッセージを引き出してくださった高橋さんに、

感謝の気持ちを伝えたくてメールしました。

 

昨日は休日出勤をして、自分のデスクまわりの整理と、

新年度に向けての準備をしました。

いつもなら自分で抱えてしまうような仕事がいくつかあったのですが、
それは次に担当になる人にお願いして、
自分に任された仕事に集中しようと、気持ちを新たにしました。