就職氷河期という言葉がいまだに聞かれ、

高卒枠に大卒者が応募する事態とか…。

どれほどたくさんの人が、社会に評価されない自分は

社会に必要とされていないと悩み、自分を見失い、苦しんでいるでしょう。

とかく社会は「見る目がない」ようです。

現在第一線で活躍する方の中に、若い頃に就職内定がもらえなくて

 50社落ちたとおっしゃる方を何人か存じております。

有能な派遣社員が十分に能力を発揮できない職場環境で、

 片や職場の機能を滞らせ病巣を創っていながら「威張る社員」…よく聞く話です。

何やら おかしなこの社会を生きながら、

どうか「尊い自分」を見失わないでください。

自分の評価は、本当のところで自分がわかっていればよいのです。

 あと一人、わかってくれる人がいればさらに良いですね。

 

親や教師の助言をもとに選んだ進路が自分に合わなかった…

 退学して他の学校に入り直して、就職に挑戦するも内定をもらえない。

どんなに焦って、自己肯定感を失っていることでしょう。

「問題がある子」「ダメな子」と家族までもが見なしておりませんか?

 

社会の価値基準にとらわれて、親はわが子の何を見てきたのでしょう。 

ダメな子ではなく、困っている子です。

自分を見失って、今こそあたたかな理解を求めている子です。

真面目で素直であるが故のつまずきなのに、

 親兄弟にまで不当に評価されたら立つ瀬がありません。

 自分の存在を消したくなるでしょう。

 

理不尽で不平等な世の中で、全ての人に平等なことは以下の3点のようです。

*命と身体を与えられて生きている

*いつか死ぬ

*欠けたところがある(完璧ではない)

 

話は変わりますが、

先に書いたブログ『勇敢な魂のストレンジャー』に出てくる

「変な人がいる」と言われる障がい者を、「変な人」としか見ないで

真実を見落としている】ところに傲慢があるのですね。

 

傲慢はしばしば私たちの中に出てきます。

どこからくるのでしょう。

 

A「あなたの~(業績)~は素晴らしいですね。」

B「いえいえ、私なんかダメです。」

…謙遜のつもりで、たやすく自分を否定します。多くの人が。私だって。

それを自分の耳が聴いています。

 

Bさん個人の努力だけでなく、関わったたくさんの方の支援、

天の応援に与(あずか)っていること、全てに対して

Aさんは(無意識にでも)素晴らしいと讃えてくださったのです

 

「お陰様で…(応援を頂いて)…有難いことです。」と言えるところを

「いえいえ私なんかダメ…」と謙遜するのは、傲慢なのかもしれません。

自分個人を褒められていると勘違いして、

たくさんの方の支援、天の応援、恵みに与っていることを

そっちのけにしているから、自分を否定して見せるのです。

大事なものをそっちのけにしている心に「傲慢」が宿ります。

 

私たちは、自分なんかに価値はない…と卑下して謙遜します。

 

あなたは生きる価値があるから 今日も命を与えられ、

過ちを通してまで 大宇宙に育てられている「大切な人」です。

分を自分のものと勘違いしているから卑下するのでしょうけれど、

命は自分のものではありません。

今日の命が 明日につながる約束は誰にもありません。

今日も命を与えられて生きています。

自分を、神(サムシンググレート)の所有と思ってごらんなさい。

神が命を与えて大事に育ててくれている自分を、

自分のものだと勘違いして勝手に汚してはいけません

それを傲慢と言うのですよ。卑下は傲慢から出るのです。

 

つい出てしまうネガティブな言葉に代わる

自分を大事にする言葉を見つけるのも楽しいでしょうね。

 

「こうなったのは私のせいです。全て私が悪いんです。」とに陥る時、

自分の瑕疵(かし・間違い)は瑕疵として反省して

次に同じような事態に遭ったらどうするかを学ぶことです。

反省とは、後悔することではなく、出来事から学ぶこと。

 

あとは顔をあげて前に進むことができるのに、

私はいつも失敗して…私なんか生きている価値がない。」

と落ち込みを引きずるのは、

「もっと、ああすれば良かった」

「ああできなかった私が悪い」と自分を責めているからです。

初めから「ああ」できていたはずの自分なのに…と言っているかのように。

初めから完璧にできなければならない自分であるべき、とでも…。

 

本当にそうでしょうか?

 

あの時は、「ああ」はできなかったから、この事態になった、

その事実を受け止めなければ先に進めません。

あの時「ああ」できなかったのは、

「ああ」できることに気づかず、選択できなかったからで、

人間が完璧ではない特質の表れにすぎません。ですから、

ここで傷つかなくていいんだよ。」と自分に教えます

「ああ できなかった自分」をそのまま受け入れます。

私も「やっちまった自分」をヒリヒリ傷みながら受け入れています。

 

初めからできなければならない 完璧な自分であるべき、と思いたがる

そこに傲慢が生まれます。

真実の見落としが、傲慢を生み出して自分を追い込みます。

ここで傷つかなくていいんだよ。」

 

私は完璧主義で、0か100かどちらかしかない、そういう人間です。」

と思い込んでいる方は苦しいでしょう。

真実を見落として、

「0か100かどちらかしかない」ワープに陥って他が見えない。

そんな時に何を言われても、他者の言葉は入って行かないようです。

 

この魔法を解く手掛かりは、

自分の深いところに眠っている物語の中にあるのかもしれません。

自分の中の忘れられた「物語」が、

真実に気づかせ、自分を助けてくれる…ことがあります。

 

「卑下」の裏に「傲慢」があり、傲慢の裏に「真実の見落とし」がある。

 

偉そうにこんなことを書いたのは、私も傲慢で散々自分を責めてきたからです。

言われても言われても呑み込めなかった、その後で、どうにか

真実を受け入れて、解放されれば楽になると体験したから、書けました。