長期化が予想される課題に取り組みながら、

セッションで得た気づきや、教わったことなどを

一冊のノートに書いておられる方がしばしばおられます。

 

書き留めるだけでなく、

読み返し、自問し、内面を掘り下げることに活用してほしいと私は願っておりました。

その中のある方が、

「ノートを開きたくない時期があった」と正直に吐露しました。しかし今は、

 

「一人の時間にノートを開いて見ます。

  今では ノートが力になっているのを感じます。

 内面で辻褄が合ったものどうし繋がり合って、心のセーフティネットになって

 『落ち込み所がなくなった』のを感じます。

 『相手は自分を見せてくれている』と思えて、『それなら しょうがない』と

 聖なるあきらめとでも言うか、それ以上落ち込むことがなくなりました

 

 自分の問題として受け取れない時は苦しかったけれど、

 今になってみれば全てが大事なことだったと思います。」

とおっしゃいました。

これは凄いことだと思いました。今年一年の魂の成熟を確認できた日でした。

 

自分が苦しい時は、自分が苦しいことしかわからなくなります。

相手に謝罪を求めたい気持ちの時は、自分のことしかわかりません

同時に否もっと前から相手も苦しんでいた・・・とは思いもしません。

 

「私は苦しかった、あなたのせいで」とは言えないことがたくさんあります。

立場上 言えないか、言ってもかえって面倒になるから言わないか、

仕事だから苦しくて当然か・・・たくさんの人は黙って 苦しんでいます。

 

「私は 長く苦しかった」と恨みがましく言える人は、

相手はもっともっと長い間 言えないで 苦しんでくれていたと知りません。

他者の苦しさなど知ろうとしません。だから、自分のことは言える・・・

 

自分の気づかないところで苦しんでくれている人がいる・・・自分のことで。

家族、身内、職場、近隣、友だち関係・・・

それに気づくためには、何度も自ら苦しみを体験するしかないのでしょうか。

 

自分が苦しい時、相手はもっと苦しかったのではないか・・・と私は思うんです。

そして、そっと 祈りを捧げます。祈り続けます。

だから、私の中は「ごめんなさい」でいっぱい。涙でいっぱい。

そして「ありがとう」で、もっともっと いっぱい満ちあふれています。

「ありがとう」は自分を裏切らないひとつの無駄もなく

 

今年も知らないでいながら何人もの人に苦しんでもらった私でしょう。

そうとは知らないまま 安泰で、どなたかに祈ってまでもらって、

『お陰様の一年』が暮れようとしております。お陰様で、お陰様で・・・

ただただ「ありがとう」しかありません。