「謙虚」って何ですか?・・・と何人かの方から訊かれた今月前半でした。

数人の方に同じ話をしました。・・・ということは、

他にも同じ迷いを抱えておられる方々がいらっしゃるに違いありません。

 

「謙虚」とは、【ありのままを知って、それを受け入れている状態】です。

 

立派な人間でありたくて努力することは素晴らしいことです。

その努力はご自身を成長させる充分な価値があるでしょう。

ただし、気をつけなければならないのは、

「自分を努力に向かわせる意志の裏側の信条」です。

 

意志の裏側

「~なりたい。~こうでなければ 自分には価値がない」

「・・・思ってはいけない」

「・・・してはいけない」

どこかで教えられたこれらは、立派な信条に見えて、実際は人を歪めます。

自然であることを許されない掟(おきて)に縛られると、これは苦しい…。

大人が教えたことに反発してもいいなんて知らなくて、教えられた通り

「掟(おきて)」を取り込んで、苦しんで育つことがあります

素直な子ほど、親や先生は気をつけなければなりません。

 

それでは、ありのままを知る】とは、どういうことでしょう。

 

成績が優秀で、名高い大学に入って、一流と言われる仕事をして、

そんな自分を好きではあっても、「空っぽ」と感じることがあります。

大切な「自分の内側」が満たされていないからです。

 

「他人の評価」を得たくて、努力して自分を押し上げてはきたものの、

土台となる「自分の内側」は空しい・・・。こんな自分じゃ価値がないと思うから。

ありのままの自分では認められない、こんな自分を許していない。

「・・・でなければ」自分を認められないのは、自己肯定感が低いということです。

周りの誰かの価値観に合わせて生きていると、自分を見失います。

 

立派な人だって、無様な思いもする、恥もかく、弱さもある、

人に言えない醜さも持ち合わせ、間違いもする、非難もされる、

みじめにもなる、落ち込むこともある・・・

それがあって当たり前、誰でも不完全さを持って生きています

 

それを人前に晒(さら)すのは無礼であり 恥ずかしいので、

人はスーツで身なりを整え、装います。

 

社会から放れて独りになった時、スーツを脱いで、裸になって、

疲れた体でだらしなく寝そべって我が身を覗けば、

否応なく人に見せたくないものが見えてきます。

 

それがあって当たり前なのです、誰でも。

見せたくないものもあるし、見せて自慢したいものもある自分・・・

それらを【ありのまま知り】(…自己を知る)

【「俺ってこんななんだな」とそのまま受け取って】

立派じゃない『普通であること』に耐える勇気が要ります。

普通である自分を ありのまま引き受ける』には力が要ります。

それが『自己肯定感』、ありのままの自分を肯定することです。

それが、「本当の自分を丸ごと愛する力」になります。

 

不完全な自分を受け入れ、認め、許すことには、

本当の自分を内側から満たし、豊かにする力があります。

これができる人は「空っぽ」ではありません。

 

無様な自分を許せる人は、人様の無様さを見下すことなく寛容でいられます。

「他人を悪く思ってはいけない信条によって、寛容であろうとする」のではなく、

自然に共感できるからです。自分にも弱さがあると知っているから。

 

自分の弱さや不出来を知り、それを肯定して引き受けることは謙虚です。

そこで自分を責めたり、沈み込んだり、要らないと切り捨てるのは、

完璧以外は許さないとばかりに、

あたかも自分を万能であるべきと前提する「傲慢」なのです。

 

【ありのままに知る】ならば、出来る自分をもありのまま認めます。

「あなたは…で素敵ね。」と言われて

「いいえ、いいえ、私なんか駄目です・・・」と言って見せなくていいんですよ。

「ありがとう。そう言われて嬉しい。」って言っていいんです。

 

どこかの集まりで、「これができる人はおりませんか?」と呼びかけられた時、

正直に挙手できることは謙虚の顕れです。

 

本当はできるのに、目立ちたくないとか、目立ったらどう思われるかとか、

挙手するより誰かに推薦されたらやってもいいとか、

引き受けたら面倒だけど本心はできる人だと見られたい・・・など、

陰で動くものが自分を謙虚でない者にします。

 

折しも鈴木秀子先生の日めくりカレンダー今日の言葉。

『あなたが人を愛するには、

 まずあなたが自分を受け入れ

 自分自身を愛せるようになることです。』

 

自分自身を愛するとは、ありのままの自分をそのまま認め、引き受けることです。

 

ある程度年を取ったら、環境や親のせいにはできません。

自分で自分を育てるより他ないように思います。

出くわすことを受け取り、体験から気づきを重ねながら、

どこまでも自分を育てることが人生だと私は思っております。

 

自分が自分を許していなかった…身体への影響

「完璧であらねば」という幻想が 自分を苦しめる