少年は、母が夫婦喧嘩のはずみで口走った「ひと言」に愕然としました。

「あの子が産まれていなければよかった…」

まさか母親は自分の存在を否定していたのか…

それを聞いてしまった少年は、それからどうしたか…、

泣きもせず、そのまま布団に入って寝ました。

長じて後に、彼は一流大学を卒業し、一流企業に就職して、

親にとって自慢の息子でありました(在ろうとしてきました)

知り合った女性の何気ない「ひと言」に、ザワッとしました。

「赤ちゃん産みたい」

それ以後、彼はEDになりました。

【自分の存在】を親に否定されると、【自分の子の存在】を肯定できない…

それが影響して、うまくいっていた人生の歯車が狂い始め、

通院するまでになりました。

薬では改善されなくて催眠セラピーを受けました。

ザワッとした感覚は、子どもの頃に聞いた親の言葉とリンクしました。

衝撃的な言葉を言った親の中に入ってみると、

思いがけず言葉とは裏腹に、疑いようもなく愛されているとわかりました。

あの時に口走った言葉は決して親の本心ではなかったのです。

私はあえて彼に「今、何て言ったの?僕は聞いていたよ。」と言わせました。

驚いた親は心にもなかった言葉だと、詫びてくれました。

催眠から覚めてから彼は、言いました。

「よかった…。これでやっと自分を許せる。」

 

やっと自分を許せる、とは どういうことでしょう?

彼は、愛されているはずの親に存在を否定されていると思って、

親に喜ばれる、自慢できる子にならなければ』と無意識に

頑張って頑張って生きていたのです。

そういう自分でなければ存在価値がないと思って。

自分が親に迷惑をかけてはいけないと無意識に抑圧してきました。

しかし実際は違っていた このままで愛されていた…。

頑張らなくても、自然体の自分で良かったんだ…。

無条件で認められていたと信じられて、彼は蘇りました。

EDはほどなく改善され、本来の人生に歩みを進めました。

 

子どもの頃のショックな体験が、心身に影響を発現する時期は、

自分が無意識に仕掛けたタイマーアラーム>のようなものです。

例えば、吃音になったり、小学校高学年で夜尿症になったり、

不登校になったり、引きこもりになったり、パニック障害になったり、

EDになったり…。何歳で出てくるかは予測できません。

そんな過去の痛みなど忘れ、とうの昔に終わったつもりでも、

子どもの頃の自分のまま痛みが冷凍保存されて残っていることがあります。

それが適時に何かの引き金で症状となって現れ、ケアを求めます

 

自分を許していない、もうひとつの例を挙げます。

軽度の発達障害により、他者とのズレを感じて、

ズレを補うよう、常に自分の在りようを修正していると、

体調を崩しやすくなります。原因不明と言われるかもしれません。

常に自分の在りようを修正する…すなわち、

ありのままの自分であってはいけない』と言い聞かせているのです。

無意識に、絶えず自己否定していると自信を失い、疲弊します。

疲弊は、Being(生命力・在りよう)を枯らし、

Doing(活動・登校・出勤)に直接影響します。

やがて症状となってケアを求めます

 

それでもなお頑張り続けなければ、と思ってしまうのです、

『ありのままの自分であってはいけない』と思い込んで、

思い込みが習性となって自分に鞭打つから。

自分を許していないから。自分の許し方を知らないから。

 それでも頑張り続けると、ピタリと身体は動けなくなります。

身体は、心の声の通りになってくれます。

「身体は感情の劇場」と言われるゆえんです。

 

社会で生きるために修正が必要だとしても、

ありのままの自分を自分が受け入れる自己対話>が必要です。

ズレは多かれ少なかれ誰にでもあると知り、

ズレたっていい、そんなこともあるさ…大丈夫だよ、と

自分に言ってあげましょう。

 

他の例では、(私の場合)

子どもに気を遣わせた不徳の親でした。

子どもは心優しく繊細で、私の顔色を窺って私に合わせてくれていました。

私は日常のストレスでいっぱいで、それが子どもにどんな影響を及ぼすか、

目に見える家族を抑圧しているなどとは考えもしませんでした。

私の目の届かない向こう側で、

子どもは私に迷惑をかけない子になろうとしていました。

『ありのままの自分であってはいけない』と無意識に思い込んで

疲弊し、自信をなくし、やがて登校できなくなりました。

直接的なきっかけは他にあったとしても、

それに向かうエネルギーが枯渇したことは親の不徳でした。

 

虐待が子どもを抑圧するとは限りません。

親が好きだから、

知らないうちに本心を抑圧して親に合わせて疲れていることがあります

あるいは、他の子のように自分も愛されたくて合わせて…。

悲しくも愛おしい現実に、私たち親ができることは何でしょうか?

 

私は、親子そろって生きていることに感謝しました。

共に生きている…時間がある、今から償えると思いました。

これからは、渇いてしまった子に私が寄り添う番です。

期待を手放し、そのままのその子に、すっかり添う時間でした。

苦しかった…!!

でも、この時間が私を親にしてくれたと思えます。

本当の親子の繋がりを紡ぎ直した日々でした。

 

不登校の解決策は、ノウハウではありません。

もっと本質的な課題です。

『ありのままの自分であってはいけない』と無意識に思い込んで

枯れてしまった自己肯定感は、

いわゆる小さな成功体験の積み重ね…では補い難く、

「そのままを受け入れられる」安心体験の積み重ねによって補われます。

ベッドから起き上がれない身体のまま、

「いいよ、動けるようになるまでゆっくり休もうね。」とそのまま認められ、

何も課せられず、笑顔を向けられていたいのでしょう。

その時、私にできた唯一のことは、

安全な居場所を保証することだけでした。

今まで言えなかった思いを聴かせてほしいと、祈りを込めて