素晴らしいから 愛するのではない

 いいところを好きになるのは誰にでもできます。

 それは愛でなく、単なる好き嫌いの問題です。

 

愛するとは、

嫌なところも 愚かしさも 醜さも 丸ごと受けいれることです。

 

自分の愚かしさも 醜さも 過ちも 丸ごと受けいれることです。

 

「なんで あんな馬鹿なことをしてしまったのだろう」

「あの人を傷つけてしまった」

自己嫌悪に陥って疲弊している方へ伝えたい。

 

【神が完全である如く あなたも完全であれ】と誰かに言われたかもしれません。

 

神の完全さとは、

私の最も嫌なところも 最も醜いところも 全て知り尽くして 

それでも なお許し、丸ごと受けいれてくれていることです。

その証に、今も命を与えられ、生かされているではありませんか。

息ができるではありませんか。

 

「完全である」とは、天の神がなさっているように

弱さを持った人に寛容に接しなさい、ということだと

恩師 シスター鈴木秀子先生に教わりました。

 

自己嫌悪で弱っている時には、

その愛を自分に向けてあげましょう。

 

大空の高みから、良いも悪いも超えて ただ見守る

「天使のまなざし」を 静かに自分に向けてみましょう。

 

「あなたは愛されています。

 過去は 全て許されています。

 あたたは すでに 許されています」

今日も病む人の枕元で、シスター鈴木はそう言っておられるでしょうか。

 

「10」あるエネルギーのほとんどを 後悔に使ってはなりません。

せいぜい「2」くらいにとどめ、

あとは 自他を 愛するために使いましょう。

シスター鈴木秀子のカレンダーより

【反省とは、後悔することではありません。出来事を通して智慧を得ることです。】