現代は余命告知することが当たり前のようになりましたが、
余命を告知されたら、患者・家族は動揺して当然でしょう。
【死は忌むべきもの】とする長年の慣習は、死を恐怖と錯覚させます。
「死」について深く知り、死ぬことも 生きることも
普段から家族で普通に話せるようになれば望ましいと思います。
余命告知とは少し異なりますが、
知人が昔、通りすがりに占い師に呼び止められ、いきなり
「お前 ◎年◎月◎日に死ぬぞ。」
と言われたそうです。
信じるつもりはなかったけれど、毎年◎月◎日になると
「あと〇年」と思ってしまったそうです。
結局、彼は◎年◎月◎日を無事に過ごし、現在も健康体で活躍しておられます。
こんな無責任な占い師が、どれほど人を迷わしてきたか・・・怖い話です。
余命告知されて後、30年経過して今もお元気な方を何人も存じております。
そのお一人の方は、昔からの主治医が異動しても追っかけて受診しているそうです。
「先生、俺 ほら、まだ生きてるよ。」
とは言わないまでも、余命告知した医師にバリバリ元気な姿を見せるのが面白くて・・・❢
「私は いつまで生きられますか?」
余命告知を受けて、【人生を総括するセラピー】を希望した方が訊いても、
潜在意識は、そういうことを教えません。そして多くの場合、こう言います。
「自分次第。あなたはどうしたい? 自分で決められる。」
「誕生の時」と「死ぬ時」は、生まれる前に青写真を描く時点で、
自分自身(と神)との約束事の一つとして決めて来ると言われますが、刻限が
いよいよ近づいてくると、無意識に 潜在意識(神と通じる)が問いかけるようです。
「予定通りでいいのかい? 本当に、それでいいのか?」
死は、無意識の深いところで 自己と神との合意の下で行われるようです。
その時「どうしても延期したい」「計画を手直ししたい」場合は、
無意識のうちに 自己と神との間で談合が行われるようです。
何人もの方が同様に
『自分次第。あなたはどうしたいの?』と問われる場面に居合わせて私が思うことです。
手相に関心のある娘が かつて私に言いました。
「お母さん、自分が何歳で死ぬか、わかる?
私、33歳で死ぬってわかる。その後の人生がイメージできないの。
それに、(手相)生命線が短いから、きっと短命だと思う。」
(それを言った頃は、彼女にとって 人生の低迷期でした)
乳児を育てている娘に今、
「ねぇ、今でも33歳で死ぬと思ってる?」と訊いたら、
「何それ?」と言われました。・・・忘れてる・・・⁉
波動が変わって、自分の人生軸を生きていると、信じることが変わってきます。
ところで、生命線が短い・・・って? だから何…?
「もっと 生きたい。」
どうして?
「やりたいことがあるから。」
やりたいことがあるから、生きている時間が大事・・・?
生きている時間が大事なら、
今日をどう生きる? 明日の24時間をどうしたい?
・・・そんなに大事な時間を どう使う⁉
短い生命線は、短命を知らせて怯えさせるのではなく、
「今日をどう生きるつもりか?」
「生きている時間を 大事にしているか?」
そう突きつけて 問いかけているのです。
その問いが その人に必要だと知って。
潜在意識と身体は一体ですから、
手相は 自分が創り出しているのかもしれません。