自己肯定感が低く、人間不信で、生きる力を失いそうになっている方のご希望で、
【前世セラピー】を行いました。
【インナーチャイルドのケア】も必要だと提案して、それも併せて行いました。
本人の了解を得られましたので、頂戴したメールを元にご紹介します。
親に言い返すことができずに我慢してばかりいたインナーチャイルドは、
(高橋:意外なことに) いきなり笑顔でした!
(本人の言葉)『(私の3歳のインナーチャイルドは)私を見上げて笑っている。
抱きあげると喜んで・・・。安心しているように・・・。』
多くの場合、ケアされていないままのインナーチャイルドは、
うずくまって泣いていたり、大人になった本人にも怒りを向け拒否することがありますが、
クライアントさんのインナーチャイルドは笑っていて、喜んですぐに抱っこされた・・・
大人であるクライアントさんが誰かをかばって、今は都度お母さんに言い返せていたので、
それが知らず知らずのうちに「インナーチャイルドの癒し」になっていたと思います。
子どもの自分が言えなかったことを、大人になって母親に言っている現実を
インナーチャイルドは聞いている、身体も聞いている・・・のですね。
何より、この方には【自分を癒す力がある】とわかります。
潜在意識が追体験させてくれた【前世】は、
3歳で奉公に出されるという不遇な境遇にもかかわらず、それを恨むことなく、
与えられた縁を大事に思いながら、まっすぐに自分を育て、
人柄を信頼されて、(奥女中の中でも)上位の仕事に取り立てられ、
自分を指導してくれた先輩に感謝し、心を込めて主に仕え、
やがて自分も指導的立場となって、小さな女の子に教え、
老いて引退した後は、自分が教育した女の子に感謝されて看取られるのでした。
この前世を、クライアントさんは
『あの物語が自分の思い込みにより作り上げたもの、テレビで見た場面をつなぎ合わせたものに過ぎないのではという思いが拭えない気持ちがありました。』
と、何度もおっしゃいました。
そうなのです。前世セラピーは、どなたでもそのように感じてしまうものです。
さらに、「本当にこれが私の前世か?」と疑いたくなります。誰でも・・・。
しかし、大事なのは真偽の証明ではなく、
【潜在意識は、今なぜ自分にこのイメージを与えてくれたのか】という本質です。
頂いたメールには、本質をきちんと捉えた言葉が書かれてありました。
『あの物語は穏やかで強い気持ちにさせ、今は「女中」も「見習の女の子」も愛おしく感じます。
・信頼できる主に仕えられ幸せだったこと
・小さな女の子に生きる術、生きぬく力を身につけさせるために厳しく指導したこと
・その厳しさと寂しい気持ちに寄り添う女中の優しさを感じとれる感性をもつ、小さな女の子と出会えたこと
・女の子に信頼され慕われたこと
・自分の生き様に納得し、安らかに死んでいったこと
これらを考えると、
私は人を信頼する気持ちを持っていた、信頼されていた、
自分を信じていたからこそ、その時代を強く生きぬけた。
その力が私にあった。存在した。
自分には無い、欠落していると思っていたけれど、
高橋さんがおっしゃったように「ある」「あった」ということを
潜在意識は私に教えたかったんだと感じました。
潜在意識のメッセージに感謝します。
「ある」「あった」ということは私の心根を強くすると思います。
私の3歳のインナーチャイルドは私を見上げて笑っていました。
抱きあげると喜んでいました。安心しているように感じました。
インナーチャイルドは知っていた、ちゃんと聞いていたんですね、私の言葉を。
「この人はわかってくれる」って。 この子も愛しいと思います。
(高橋:この感情は、インナーチャイルドと自分と統合が果たされていることを意味する)
私を見上げる【この子】のまっすぐな目・・・私は【自分】に恥じない仕事をします!
【この子】に会えて、セラピーを受けてよかったと思います。
これからまだ何かと何かが、ふと結び付き、気づきや思い当たることが出てくるかと思います。
それをじっくり味わい、【自分】を知っていきたいと思います。
貴重な時間をありがとうございました。』
潜在意識が与えてくれたことをしっかり受け止め、信じられる
クライアントさんの真っ直ぐさ、聡明さに敬意を表します。
潜在意識のコアは『叡智(愛そのもの)』です。
信じるに足る自分であると、思い出させてくれたのです。
叡智が、クライアントさんに【真実】を与えてくれたということは、
大宇宙がこの方を応援しているということです!
一度のセッションが「愛のオアシス」となって、何かの時に励ましとなれば幸いです。
入社したタイミングが遅いため「立場は下」でも、
人間として【頭ひとつ抜き出ている人】は理解されず、
不信と孤独を感じることが社会にはあるものです。
年齢に依らず「狭量な人」は、自分の理解を超えた人に怒りだすことがあります。
不当な怒りだと自覚できないで、「何言ってるかわからない」と相手のせいになります。
こともあろうにそういう御仁が上役で、こそこそ言い広められても、
こちらは釈明しようがないシチュエーションに置かれ・・・(昔あったなー)。
【誰の口から語られるか】によって「事実は異なる(見えなくなる)」ことを留意しましょう。
孤独につぶされず、【頭一つ抜き出ている自分】を信じて、
そこから観えるものを見ておくことは、後に役立つかもしれません。
いずれ、そこに留まらず、自分に相応しい【生きる場】を求めてはいかがでしょう。
それこそ、自分に恥じない生き方をするために!
セラピーを機に「気づき」が起こったり、
サイダーの泡が立ち上る如く「次なる何か」が浮き上がってくるかもしれません。
「また行ってみようかな」と思う時が、次のセラピーのタイミングです。
そうお伝えしました。尊い出会いに感謝致します。