「自分」て、何でしょう?
あなたは、どんな存在でしょうか。
ここに、1つのたとえで、あなたの存在を言い表してみたいと思います。
あなたは、次の3つをひとまとめにした「生命」ある存在です。
《Doing(する自分)(社会的自分)》……………………氷山の一角
《Being(いる自分)(霊的自己/スピリチュアルな存在)》…大かた
《Body (肉体) 》
《Doing (する自分)(社会的自分) 》は、
学校へ通ったり、仕事をしたり、結婚して家庭を築いたり・・・、
人とコミュニケーションし、社会と関わり、努力をして活動する自分、
何かを「できる」自分です。
・・・何か「できる」ことは、大きな価値ですが、
それがあなたを決定する「全て」ではありません。
何も役に立つことができないように見える時、
重い障害と共に在るとき、
病床に伏している時、痴呆になってしまった時、
不登校で、体がぐにゃぐにゃになってしまった時、
ひきこもっている時、・・・
あなたは価値を失ったのではありません。
「いる」だけで、あなたには価値があります。
あなたの知らないうちに、あなたによって気づいたり、
安らぎを得ている人はいる。
いるだけで、経済の流れにも関与している。
能力、地位、財力で評価される社会に生きている方々には
受け入れ難いかもしれませんが、
「できなくなってしまった」時も、
「頑張れなくなってしまった」時も、
あなたは、「いる」だけで価値ある存在なのです。
《Doing(する自分)》は、《Being(いる自分)》に下支えされて
います。
《Being(いる自分)(霊的自己)(スピリチュアルな存在)》
今、ここに、いる。
たとえば乳幼児にとって母親は、そばに(いる)だけで助けです。
自分には(欠点があって)(迷いを抱え)(苦しみを抱え)(孤独を感じ)
(過ちを犯した自分として)(怖さを持っている自分として)
それらの感覚と共に、あなたは、ここに、います。
叱られ過ぎたり、否定され続けたり、または自己否定し続けたり、
拒否されたり、無視されたり、自信を失くして、
自分を自分として認められない体験を重ねるうちに、
《Being(いる自分)》が損なわれ、傷つき、へこんでしまうと、
《Doing(する自分)》を下支えするパワーを失い、
社会から一時撤退して、
《Being(いる自分)》を修復しようとします。
それは鬱症状などの身体の症状で現れたり、
「スランプ」とか「ひきこもり」などといわれる状態です。
それはあたかも、生命の海水が渇(かわ)き始め、
《Doing(する自分)》をひと休みして、
氷山《Being(いる自分)》が姿を見せたようなものです。
自己修復しようとする時期、
その揺らぐ過程を <ただ聴き><受け止める>人が必要です。
大人であれば、独り、その時期を過ごすこともあります。
そんなとき、<もう一人の自分>を優しく同伴させてください。
《Being(いる自分)》をケアする作業は、自己との孤独な対話。
停滞することは、挫折ではありません。
仮に、挫折として現れた現象でも、それは「悪」ではありません。
孤独は、自己の深みへと誘い、忘れていた大事なこと…
本心が望む「在りよう」を思い出させてくれます。
そんな時があるからこそ、あなたは
あなたらしく、自己を深め、
いつか周囲に影響を与える「何か」を培(つちか)うことができるのです。
《Doing(する自分)》となるよう叱咤され、
不適応者と見なされると、
(他者が責めなくても、自責の念も同じ)
安心して自己修復できないで魂の叫びが 押し込められ、
《Being(いる自分)》は《Body(肉体)》と一体だから、
さらに身体症状として《Being(いる自分)》が悲鳴を上げたり、
精神症状を呈したり、暴力行為や自傷行為につながっていきます。
「生きる」ということは、
《Body(肉体)》が脈打つことだけではありません。
自己との孤独な対話も「生きる」ために大事なことです。
たとえ<過ちを犯した自分>であっても、叱らなくていい。
その自分と共に
あなたは生きています。
あなたの真価が認められ、誰かに評価されたら嬉しいですね。
でも、
あなたの真価を認められるほど、周囲が成熟していない場合もあります。
あるいは、あなたが見落としていることがあるのかもしれません。
鈴木秀子先生はおっしゃいます。
人生には「明」と「暗」の季節がある。
「明」は「暗」に支えられている。
社会の第一線で活躍する人は、
迷い苦しみの谷間を生きている人に支えられて存在している。
人生は「明」ばかりではありえず、「暗」ばかりでもありえない、
あざなえる縄のように、交互に訪れるものだって・・・。
「へこんでいる人」が、第一線で活躍する人を支えているのですね。
自分ではそうと知らずに・・・。
孤独を知るあなただからこそ、
寄り添ってくれる、心通じる人がいてくれる尊さが
人一倍 貴重に感じられることでしょう。
それでも、独りでは無理だったら、助けを求めていいんだよ。
《Being(いる自分)》は、
見えないところで全ての人が繋がっています。
生命の海に包まれて「ひとつ」なのです。
寝たきりで、何もできないかに見えても、
ほほ笑むことができたなら、今日も誰かをホッとさせる あなたでしょう。
ほほ笑むことができなくても、
「想い」は生命の海に広がって影響を与えます。
「祈り」は生命の海に波を起こし、波紋の広がりとなって向かいます。
「想い」さえ ままならなくても、
「生き
ている」だけで、
あなたがそこにいるだけで、
生命に関与しているだけで、充分 あなたには価値があります。
《Being(いる自分)》が修復され、エネルギーを充電したら、
《Doing(する自分)》を支える力がよみがえり、
その時あなたは、
スクッと立ち上がって、やりたい行動を始めるでしょう。
<不登校>の子だって。