バスを待っている列の脇を、しばしば奇声を発しながら通る方を見て、

「怖い。近寄らないで。」と感じたそうで、

「変な人がいるんですよ。」と迷惑そうに話されました。

その方と話したことを本人の了解を得てお分けします。

 

「怖い。近寄らないで。」

それ以外の反応をする人がいるのよ。

それ以外の反応って、どんな反応だと思う?

 

その方が自分の子どもだったら?

 あなたが親だったら、同じ眼差しを向けるだろうか?

私は精神障害の方を見ると、そう思ってしまうの。

 私の子どもに障害者が生まれるはずはない!なんていう約束はないから。

 

障害者が一人もいない世界だったら、どうだろう。

障害を恐れ、人を差別し、疎外する心が自分にあることを

私たちは知ることができない。そこから学ぶこともできない。

多くの価値を見逃してしまうでしょう。

 

人がそうなりたくない障害、重複障害、重い病気を持って生まれてきた人は、

勇敢な魂の人』だと思うのよ。

 

例えば、地上に生まれてくる前の「魂の故郷」で、あなたが

神様にこんなことを言われたら、どうする?

 

精神障害を持って生まれてみないかい?

 

そうすれば、お前はたくさんの人に疎(うと)まれ、避けられ、馬鹿にされ、

親も お前のような子が生まれたことで悩み、苦労するだろう。

 

しかし、お前を育てることで、「親」は大いに成熟するだろう。

並々ならぬ成熟を果たすことができる。

それを見込まれて選ばれた「親」なのだけれどね。

お前と出会う人にも、深い学びを与えることができるだろう。

お前が与えようと思っていなくても、相手次第で、そうなる。

 

お前は数多くの困難な人生を経て、よく試練に耐え、成熟した。

地上へ転生するのもこれが最後かもしれない。

そろそろ、どうだろう? 

精神障害にチャレンジしてみないか?

 

そう言われたら、あなたは引き受けられますか?

 

そう言われて、引き受けたのです、その方は。

勇敢な魂の方です。

決して馬鹿にされる人ではありません。

 

「怖い。近寄らないで。シッ、シ。」みたいな反応が出るのは失礼です。

その方にも、

その方の親御さんにも、

その方を存在させている サムシンググレートに対しても。

失礼で傲慢です。

 

目に見える姿の奥にある、「存在の尊さ」を知ることで、

他の反応ができるようになります。

今、どうですか? 

その方に向ける眼差しが 今朝と違っていませんか?

 

人間観、世界観を養って、

豊かな見方ができるようになると、たやすく恐れなくていい、楽ですよ。

 

「引き受け難い宿命を引き受けた人」を通して、私たちは神に出会っている

のだと思います。

わが子の障害を恥じて、疎んじて、隔離して放置して死なせてしまった親は、

せっかくの尊い機会を活かすことができなかったのです。