①可哀想な話
その人の信頼する親族には
「可哀想に、可哀想に」と言いたがる人がおりました。
「可哀想」と言われると「優しくされている」と
勘違いした知的ハンディのあるその人は、
あまり何度も「可哀想に」と言われているうちに、
「可哀想に」と言ってくれる人だけが味方と思うようになりました。
他の誰の話も聴く耳を持たなかった…。
「可哀想に」と言ってもらえるように「可哀想な人」を演じるようになり、
事実を曲げて可哀想がられる話をするようになりました。
曲げられた事実の陰に「悪者」が仕立て上げられ、
長年の言葉巧みな嘘の積み重ねの果てに、
気がつけばその人は「ひとり」になっておりました。
「非情な人のせいで、私は一人ぼっち」と言って泣けば
今もまだ可哀想と言ってもらえます。
そして、嘘を聴かされる人たちは、一緒に悪口を言い、
その人を「可哀想に」と言います。
自分の心が創った現実だと、いつ目が覚めるのでしょう。
「可哀想に」という言葉は、悪魔のささやきにもなります。
可哀想がられたがると、自ら落ちていきます。
②可哀想好きな人
「泣いてたよ、あの人。可哀想に。」
自分の前で泣く人の話だけが、聴いた人の真実になってしまい、
泣いた人の陰で、
「人に言わず忍んでいる人」が忘れられていませんか。
陰口を言われても、陰口にして言い返さない人がおります。
その人は、陰口で人とつるみません。武装が要らない人です。
いつの間にか、
愚痴を「言わない人」を陰で悪者にしていませんか。
仕立て上げられた悪者に、陰口は釈明させません。
その人の本心を聴きましたか?
言葉の意図を間違って拾い、
感情のフィルターで弾いて 言い広め、
自分の前で泣いた人を傘に入れ、
「イイ人」と思われて、
ミスをした他の人には注意するけれど
自分の前で泣いた人に注意できますか?
『あのお局様、人を見る よね。
気に入った人には注意しないけど、
気に入らない人には、事を大きくして騒ぐよね。』
そう言っていたけれど、
自分だって傘の外の人に同じことをしていると、
誰も教えてはくれません。
傘の外の人は、
本当にあなたが思うような人なのでしょうか?
言葉や出来事から何をキャッチするかは、人によります。
間違って解釈されたまま本心を聴いてもらえず、
敵対視されていた人の息苦しさがわかるようになりました。
その陰口に見誤りがありませんか?
その人は本当にあなたの思うような人ですか?
その人の本心を聴きましたか?
《陰口に惑わされて苦しい人へ》
否定され、あたかも自分が悪いと思わせられることがあります。
あなたを否定する人の「見方」が正しいとは限りません。
ちっとも悪いわけではないのに
陰口を言われたり疎外されることがあります。
自分も一緒になって
たやすく自分を否定しないで!
他者の態度の影響を受けなくていい。
人に惑わされなくていい。
「私が悪い」と思わされている・・・ことがあります。
自分を信じる力を、自分を傷つける人に空け渡さないで!
顔を上げて、胸を張って、堂々としていればいい。
あなたに挨拶を返すも返さないも、相手の自由です。
あなたを認めるも誤解するも、相手の器量次第です。
陰口を言うも、言わないも相手の自由です。
自由にさせておけばいい。
あなたの問題ではありません。
相手の未熟さの影響で苦しむことはない。
普段から、真に心を許していい人を見極めること。
それ以外の人の影響は受け流しましょう。
あなたが選んだ安心できる人に、聴いてもらえたら、
自分を確認し、気持ちを整える助けになりますね。