「【点数】とか【体重計】とか、数字しか自分を肯定できるものがなかった」

10代の女の子はそう言いました。

命のギリギリまで拒食して、体重計の数字を確認してしまう女の子に、

「確認せずにいられないその【数字】って、あなたにとって何?」と訊いた時の答えです。

 

苦しみ抜いた女の子は、内面を表現する豊かな語彙を持つ子でした。

その言葉を私が借りて、他の誰かの言うに言えない苦しみを代弁して、

「あなたは今、こんな気持ちなんじゃない?」と訊くと、しっかり頷くのです。

後日、「あなたの表現を借りて、ある子どもの気持ちを代弁できた」と伝えると、

女の子の両の目に みるみるうちに涙があふれ、

「私が苦しんだことが、誰かの役に立った・・・嬉しい。何より嬉しい。」と泣くのです。

 (その時、公開について本人の了解を得ました)

 

「【点数】とか、数字でしか自分を肯定できるものがなかった」

そう思う若い人たちはたくさんいると思います。

数字にすがるしかできないほど、  自己肯定感が乏しい のです。

それは、普段から肯定されたと感じ慣れていないばかりでなく、

『数字に表されないたくさんの価値』をまだ知らないから。

生きることのただ事でない価値は、数字では表されないことを 知らなくて。

 

私には、自分の大切な子にも似たような想いをさせてしまった悔いがあります。

その後の年月を費やして、もう取り戻せたと自負してはおりますが。

 

子どもたちがどうして『数字に表されないたくさんの価値』を知らないか・・・

ひと言で言えば、苦労して食いつないで生きる体験の不足、

人間力が養われるような感動体験の不足から、子どもにとって

「成績」という価値がクローズアップされているからだと思います。

 

昔、子ども自ら稼いで家計を支えなければ喰って行けなかった現実を見ながら、

稼いでも、稼いでも貧しいのに、それでも「なりふり構わず汗して働く親」を

子どもは見ていたのです。

親が外で稼いでいる間、妹や弟の世話をしながら夕飯を支度しておく子どもがいた。

そこには「点数」という数字など、むしろどれほどの価値があったでしょう。

持たない者同士が隣近所で分け合い、助け合う暮らしを見ていたでしょう。

片道十数キロの山道を、毎日徒歩で往復しなければ学校に通えない子どもたちは、

今の子どもたちの「登校」とは全く違った体験を積んでいたでしょう。

 

「点数という数字で表されない価値」を暮らしの中でふんだんに体験していたのです。

 

点数という数字に価値を当てて、他の価値を知らぬまま大きくなると

「完璧に近い自分を育ててきたはずなのに、私の中身は空っぽなんです

と言うようになります。

誰かに評価されるために、 『自分の本当の声』を押し隠して

知らず知らずのうちに 『自分の本当の声』を価値のないものとして無視していた。

 誰かに評価されるために頑張るのは、『自分』ではない誰かの価値を生きている・・・

それは苦しい。

 

その子の隠されていた『本当の声』を拾いだし、一つひとつ、私と一緒に肯定し続けた結果、

やがてその子は「本当の自分」を取り戻しました。自分の本当の人生に着地しました。

 

テレビやネットの刺激は、家族や友だちとのコミュニケーションを楽しませてくれます。

それはそれで価値がありますが、あえてそれ以外の価値を見出してほしいのです。

映画、本、DVDなど、一流の人間の本気の仕事(刺激)に出会ってほしい。

例えば ロマン・ロラン著「ジャン・クリストフ」 ビクトル・ユーゴー著「レ・ミゼラブル」

大人向けには 磯田道史著「無私の日本人」

 

心の芯がふるふると震える体験を、作品を通して擬似体験してほしい

安穏な暮らしの、もっと外にある世界を知ってほしい

この世界には様々な人間が生きている、その営みを知ってほしい。

何を考え、何を悩み、何を夢見て生きているのか、多くの人の生き様を知ってほしい。

その人は、【何を大事にしているから そうするのか】(価値観)

 

ウイルスで自粛が要請される今の時期こそ、良質な擬似体験に出会うチャンスです。

日々の暮らしを、心の芯を震わせて生きてほしい! 

人間て、すごいな! こんな発想があったのか! こんなことができるんだ!

感動は、心の芯をふるふると震わせながら、奥底にある「力」をぎゅーっと持ち上げてくれる

感動は、人を変える力があります! 

ある日ふと見上げたものに感動して、人が変わった生徒を見つけました。

 出典を知らないまま引用するのは気が引けますが、ある作文を紹介します。

どこかの校長先生を「感動した話を集める編集者」が訪ねて来たのでしょうか。

「うちの学校に、こんな作文を書いた生徒がいるんですよ。」と

校長先生が読んで聞かせた作文です。 

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僕の父親の職業は鳶職(とびしょく) です。

 (高橋註:とび職とは、ビルの建設現場で高所に上って行う危険な仕事)

父親の休日は定まっていなかった。雨の日以外は日曜日も祭日もなく、お定まりの作業服に汚れた古いオンボロ車を運転して仕事に出かける。

仕事が終わると頭から足の先まで、泥や埃で真っ黒くなって帰り、庭先で衣服を脱ぎ捨てて、パンツひとつになって風呂に飛び込むのが日課である。

僕の友達がいても平気で、そんな父の姿が恥ずかしく、父が嫌いだった。

小学校の頃、近所の友達は日曜日になると決まって両親に連れられて買い物や、食事に出かけて行くのを、僕は羨ましく思いながら見送ったものだ。

(みんな、立派な父さんがいていいなぁ)と涙が流れたこともあった。

たまの休みは、朝から焼酎を飲みながらテレビの前に座っていた。

母は『掃除の邪魔だからどいてよ』と掃除機で追っ払う。

『そんな邪魔にすんなよ』父は逆らうでもなく焼酎瓶片手にウロウロしている。

『濡れ落ち葉という言葉は、あんたにピッタリね・・この粗大ゴミ!』

『なるほど俺にそっくりかハハハ・・うまいことをいうなハハハ・・』と、父は受け流して怒ろうともせずゲラゲラ笑っている。

小学校の頃から、小遣いをくれるのも母だったし、買い物も母が連れて行ってくれた。

運動会も発表会も父が来たことなど一度もない。

こんな父親などいてもいなくってもかまわないと思ったりした。

ある日、名古屋へ遊びに出かけた。

ふと気づくと高層ビルの建築現場に『○○建設会社』と父親の会社の文字が目に入った。

僕は足を止めてしばらく眺めるともなく見ていて驚いた。

8階の最高層に近いあたりに、命綱を体に縛り、懸命に働いている父親の姿を発見したのです。

僕は金縛りにあったようにその場に立ちすくんでしまった。

(あの飲み助の親父が、あんな危険なところで仕事をしている。

一つ違えば下は地獄だ。

女房や子供に粗大ゴミとか、濡れ落ち葉と馬鹿にされながらも、怒りもせず、ヘラヘラ笑って返すあの父が・・・)

僕は体が震えてきた。

8階で働いている米粒ほどにしか見えない父親の姿が、仁王さんのような巨像に見えてきた。

 

 (校長は少し涙声で読み続けた。)

 

僕はなんという不潔な心で自分の父を見ていたのか。

母は父の仕事振りを見たことがあるのだろうか。

一度でも見ていれば、濡れ落ち葉なんて言えるはずがない。

僕は不覚にも涙がポロポロ頬を伝わった。

体を張って、命をかけて僕らを育ててくれる。

何一つ文句らしいことも言わず、焼酎だけをたのしみに黙々働く父の偉大さ。

どこの誰よりも男らしい父の子供であったことを誇りに思う。

 

 (そして彼は最後にこう書き結んでいる。)

 

「一生懸命勉強して、一流の学校に入学し、一流の企業に就職して、

日曜祭日には女房子供を連れて、一流レストランで食事をするのが夢だったが、

今日限りこんな夢は捨てる。

これからは、親父のように、汗と泥にまみれて、自分の腕で、自分の体でぶつかって行ける、

そして黙して語らぬ父親の生き様こそ本当の男の生き方であり、僕も親父の跡を継ぐんだ」と。

 

読み終わった校長はしみじみ言った。

「この学校にこんな素晴らしい生徒がいたことをとても嬉しく思います。

こういう考え方を自分で判断することが教育の根本だと思います。

そして子の親としてつくづく考えさせられました」と。

差し出されたお茶はとっくに冷えていたが、とっても温かくおいしかった。