がんの転移ではありません。心理学用語としての「転移」の話です。
【陽性転移】 優しくされると、相手を誇大に素晴らしい人と思い込み、
【陰性転移】 過去に起因して湧き起った怒りを「目の前の相手」に向ける状態
カウンセラーやセラピストは、こういう場面に遭遇することがあるものですが、
私は非常に少ないです。
転移させないようにしているからで、これは<仕事のうち>です。
【陽性転移】【陰性転移】どちらも、相手を『等身大』に見えない人が陥ります。
例えば
【陽性転移】 素晴らしい人❣ 仲良くなりたい・・・急接近する・・・
その結果、カウンセラーに過剰な好意(恋心)を向けるようになることも・・・。
優しい人と見れば 遠慮なく、ズカズカと相手の世界に侵入してくる。
相手への勝手な「憶測」や「裏どり(調べる)」のような行為まで含みます。
カウンセラーは、そうはさせられないため、適切な距離を置くと、
【陰性転移】 裏切られた。こんな人だと思わなかった、傷つけられた・・・と落ち込む。
私はいつも こうして人に裏切られる・・・。
このように勝手に 被害者になりたがります。
いずれも はた迷惑な話ですが、
ふわふわと軸足が浮いて現実が見えないと、判断を誤ることになります。
そして結果的に、本人が ルートを見失って迷走することになります。
過去に痛い目に遭った怒りは、痛い目に遭わせた当人にこそ向けられるべきで、
それができない状況にあっても、他の人に向けるのは 筋違いです。
しかし残念なことに、当人は気づけないもので、
自分の中に湧き起こる怒りを、誰かに発散してエネルギーを奪います。
これが、人から距離を置かれる原因の一つになります。
自分に「過(あやま)ち」があるとは思えず・・・被害者意識を・・・?
【怒り】が湧き起こったら 要注意‼ すぐに反応しないで
必ず立ち止まって、状況を正しく把握しましょう。
私も これを心がけております。
怒りだけでなく、【感情】が動いたら注意します。
普段から自分の感情の動きに留意するよう心がけております。
感情こそが、人生のハンドルですから。
特に、湧き起こった怒りの矛先を誤らないようにしましょう!
うまくいかない感情を 自分にぶつけてくる人がいたら、
その人は「自分の鏡」かもしれません。
同じようなことを 自分も誰かにやっていないでしょうか。
大人になれば、誰も注意してくれません。
だって、何か言えば さらに面倒になるから…避けたいでしょう?
自分が逆の立場なら、距離を置くでしょう。
誰もが、人を見て「自分の鏡」として 己を学ぶしかありません。
これから就職、転職、転勤のシーズンで、
多くの皆さんが 新たな出会いに恵まれることでしょう。
要注意ですよ!
優しく見える人が 本当に優しいとは限りません。
悪く言われている人が 本当に悪い人かどうか・・・わからないのです。
新人同士でラインで情報交換?
・・・裏で流れるこの情報交換が 心の目を曇らせることがあり、要注意です。
しっかりと 心の目を覚ましておきましょう。
「私はまだ わからない」という ニュートラルな目線 は大事です。
誰でも皆、様々な面を持っていて、状況によって色々な面が顕(あらわれ)れます。
人を見る目を養う絶好の機会です。
真に優しい人は 優しそうに見えないかもしれません。
鍛えられた人は芯があって 優しい人は 厳しくもできます。
愛を主張せず、「優しい人」と思われようとしないで、「個」でいられます。
目の前の人を 「等身大」に見えるよう、覚めた心を保ちましょう。
自分の深いところにある叡智につながっていれば、
人を崇(あが)めることもなく 卑しめることもなく 等身大に見られるようになるでしょう。
人の一挙手一投足に(言葉に)一喜一憂することはありません。
人は誰でも 言い間違いもする・・・陰口も言われる・・・そんなものだから。
誰かが言うからではなく、自分の目で客観視できる自分を育てましょう。
目の前の人を 「等身大」に見えるようになると、
同時に自分自身をも 「等身大」に見えるようになります。
他人を等身大に見えない人は 自分をも等身大に見えていない。
過ちをしても たやすく卑下したり、過大に落ち込まなくなります。
ありのまま受け取って 自分を育てる・・・これしかないのですから。
人はよく「言った」「言わない」の騒動をします。
「そうは言ってないのに・・・された」
言葉よりも早く <発するもの>が 相手に伝わっただけでは・・・?
怒りの欠片(かけら)を 今日も誰かに発しませんでしたか?
プンプンと・・・、チクリ チクリと・・・、ネチネチと・・・、ガーッと、
客観視できるようになると、これまた恥ずかしくなります。私も・・・そう・・・。
周囲のあれこれに不満は多々あれども、
『にもかかわらず・・・』
何を発して 生きる自分でありたいでしょう。
気に入らない事情はあれど、
『にもかかわらず・・・』自らのありようを問う生き方が 尊いと信じます。