「食べる」・・・この当たり前な行為に 

不遜にも 私たちは無頓着になりがちです。飽食の時代に生きて。

無頓着なありようが 私たちを肥満にし、心にまで贅肉を付けて鈍感にし、

「食べる」ことへの謙虚さを忘れさせてしまったのかもしれません。

   私が育った劣悪な環境の家では、

   美味しい物は それぞれが隠して食べる・・・餓鬼・畜生の世界でした。

   食べることへの謙虚さも、恥も 文化もない 心を持たない親でした。

今、私の娘は、赤ちゃんの離乳食の前後に、小さなお手手を合わせて

一緒に「いただきます」「ごちそうさまでした」と言います。

その自然な姿に、お陰様で私は無教育を連鎖させていないと確認できました。

 

「食べる」ことへの謙虚さを思い出させてくれる絵本を紹介します。

絵本『 いのちをいただく 』みいちゃんがお肉になる日

内田美智子著 (講談社の創作絵本) 単行本 – 2013/12/3

 

牛を殺すとき、牛と目が合う。

そのたびに坂本さんは、 「いつかこの仕事をやめよう」と思っていた。

ある日の夕方、牛を荷台に乗せた一台のトラックがやってきた。

「明日の牛か…」と坂本さんは思った。

しかし、いつまで経っても荷台から牛が降りてこない。

不思議に思って覗いてみると、10歳くらいの女の子が、

牛のお腹をさすりながら何か話し掛けている。

その声が聞こえてきた。

「みいちゃん、ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ……」

坂本さんは思った、 (見なきゃよかった)

女の子のおじいちゃんが坂本さんに頭を下げた。

「みいちゃんはこの子と一緒に育てました。

だけん、ずっとうちに置いとくつもりでした。 

ばってん、みいちゃんば売らんと、お正月が来んとです。    

明日はよろしくお願いします…」

(もうできん。もうこの仕事はやめよう)

と思った坂本さん、明日の仕事を休むことにした。

家に帰ってから、そのことを小学生の息子のしのぶ君に話した。

しのぶ君はじっと聞いていた。

一緒にお風呂に入ったとき、しのぶ君は父親に言った。

「やっぱりお父さんがしてやってよ。  心の無か人がしたら牛が苦しむけん」

しかし、坂本さんは休むと決めていた。

翌日、学校に行く前に、しのぶ君はもう一度言った。

「お父さん、今日は行かなんよ!(行かないといけないよ)」

坂本さんの心が揺れた。そしてしぶしぶ仕事場へと車を走らせた。

牛舎に入った。坂本さんを見ると、

他の牛と同じようにみいちゃんも角を下げて威嚇するポーズをとった。

「みいちゃん、ごめんよう。

みいちゃんが肉にならんとみんなが困るけん。ごめんよう」

と言うと、みいちゃんは坂本さんに首をこすり付けてきた。

殺すとき、動いて急所をはずすと牛は苦しむ。 坂本さんが、

「じっとしとけよ、じっとしとけよ」

と言うと、みいちゃんは動かなくなった。

次の瞬間、みいちゃんの目から大きな涙がこぼれ落ちた。

牛の涙を坂本さんは初めて見た。