昔話です。
福祉の現場で、「いくらでも娘の悪口を言う母親」と
「その母の悪口を一度も言わない娘」に 何組も出会いました。
いよいよ娘の方から母子関係を訊かなければならなくなり、
頼んで話して頂いたところ、かなり【やばい母親】だったようです。
相当な苦労をしてきただろうに、それでも娘は、
なぜ母親の悪口を言わないか…
それぞれに事情は異なっても、このような場合、2通りの訳があると思います。
一つは、道徳心によって自律しているため 人格的に言わないでいられる。
何とかしようとも、誰かと話題にしようとも思わない 切れた関係。
もう一つには、
「言わないことが 母への(ぎりぎりの)愛」だったという場合。
後者について、書き伝えたいことがありますが、
職を離れても守秘義務がありますので、話を脚色します。
これは、決して特殊な例ではありません。
同様の関係は しばしばあります。
甘え上手な可愛い「妹」と比較され、
いつも「姉」でいなければならなかった年子の姉は 甘え下手。
母にとって
おしゃべりな妹は わかりやすく、
無口な姉は 何を考えているか わからない。(ありがち…)
【無口な姉の気持ちを汲みたい・理解したい】という感性に欠ける
聴けない親は、残念ながら いるもので、ある日 母親は姉に言った。
「お前なんか、産まなきゃよかった。」
悪いことを言ってしまった…とは思いながら 謝罪できない母。
「困った娘(こ)だよ この子は 扱いにくくて。」
わが子にどれほどの影響を残すか わからないのです。
母親に存在を全否定された子は、
『息をするのがやっと…生きているのがやっと』と私は親御さんに例えます。
不登校になっても、病気になっても、ひきこもりになっても
不思議はなかったはずなのに、
健気にも その方は、職業を持って子どもを育てている。シングルで。
いよいよ困って、母を頼って実家に来た姉娘…。
仕事から帰って自室へと階段を登るや 母の罵声が飛ぶ。
「自分の部屋くらい掃除しなさいよ!」
階上から母に ゴミ箱(言葉にならない悲鳴)が飛んでくる…
人が聞けば 「ひどい娘だ」と思われるかもしれませんが、
私にはこの方の気持ちが 痛いほどわかります。
【汲みたい】という感性のない母親には 気持ちが通じません。
話しても、話さなかったと同じになる。言葉では伝わらない。疲れる~。
だから、感情が爆発して過激な行為にならざるを得ない。
わかってほしいから。
【わかってほしい願い】があるのは【愛】です。
ゴミ箱を蹴った行為は、愛の変形です。
【わかってほしい願い】さえ失せたら、通常 黙って距離を置かれてしまいます。
面倒な子が去って 寄り付かなくなって楽になった…と思うかもしれませんが、
そのまま、自分に気づくことなく 年を重ねることになります。
それで良い人は、良いのかもしれませんが…。
大人同士の間では、誰も肝心なところに触れません。
誰も 気づかせてはくれません。それでも良いのかもしれませんが…。
人生に疲れて、疲れて、疲れて…いっぱいいっぱい
子育てもやっと、仕事もやっと、
生きているのが辛くて 助けを求めて親元に来たのに、
(徹頭徹尾 嫌っていたら 頼っては来ない)
わが子の想いを汲めない母。
汲めない母が、ごみ箱を蹴飛ばさせているのです。
仕事をして収入を得るのは 当たり前、
産んだ子どもを育てるのは 当たり前、
部屋はいつも片づけて綺麗にしておくのが当たり前でしょう…って⁉
それさえ できない時があるんです!
それでも命を削って頑張っている時に…
母は言う。
「私は友だちが多いから、娘のことを話すと 皆~~って言うわ。
でもあの子は、友だちがいないから、私のことは誰にも言わないの。
(親の悪口を)言いたくても言う相手がいないのよ、可哀そうな子。
あの子を何とかしてあげたいの。」
(まず自分を何とかしてもらいたい…とは言えないが)
そろそろ黙っていられなくなった私は、言いました。
『友だちがいないから 言わない のではありませんよ。
友だちがいても 言わない のです。
親戚にも、誰にも、お母さんの悪口は 言わない のです。
言いたくない…そういう人…だから。
誰にも お母さんの悪口を言わない。
言わないのが お嬢さんの 愛 なんです。
お母さんへの愛 なんです。
あの状態で よく 働いて収入を得ているな~、大変だろうな~
よく 子どもさんの世話ができるな~と私は思いますよ。
自分一人が生きて、息をしているだけでやっとなはずなのに…
子どもを叱り過ぎて 感情が溢れてしまうのは
自分の存在を否定された影響。お母さんの影響です。
(親に存在を否定された人は、わが子の存在さえ肯定することが難しいばかりでなく、
自分は愛のない人間だと自己嫌悪してしまう 負のスパイラルへ向かう)
お母さんはちっとも 自分を わかってくれない、寂しい、苦しい
それでも、誰にも お母さんを悪く言わない、
言わないのが お嬢さんの愛 なんです。
自分だって愛されたい、切実な思い…。これも愛です。
物が飛ぶのは、お母さんにわかってもらいたい悲鳴です。
物を飛ばしてしか、辛さを伝えられないんです。
それほどまで 追い詰められているんですよ。
今、お母さんにできることは何でしょう?
お嬢さんの愛に、どう応えてあげられますか?』
意を汲めない人は、すぐ言い返してきます。(これが疲れる~)
一旦 受けとめ…時間をかけて熟考する…ということがない。
なので 私は黙ってしまいます。
愛は、愛を主張しないまま ひっそりと差し向けられている
…それを汲み取れるかどうかは あなた次第です。
伝えるだけは伝えて、あとは
待って 見守ることが 私の愛。
祈りの中に 母子・ご家族を包みこむことが 私の愛。
ただし、ただしですよ、皆さま。
セラピーにおいでくださった席では、母親の悪口を言っても良いのです。
ここは例外、何を言っても許される聖域なのですから。
抑えなくていいのです。
私はここで あなた様の想いを汲みたいと願っております。