人は自分が苦しい時、【自分が苦しい】としかわからなくなります。
相手に謝罪を求めたい気持ちの時は、自分のことしかわかりません。
同時に、否もっと前から相手も苦しんでいた・・・とは思いもしません。
「私は苦しかった、あなたのせいで」とは言えないことがたくさんあります。
立場上 言えないか、言ってもかえって面倒になるから言わないか、
仕事だから苦しくて当然か・・・たくさんの人は黙って 苦しんでいます。
子ども達も!
「私は 長く苦しかった」と恨みがましく言える人は、
相手はもっともっと長い間 言えないで 苦しんでくれていたと知りません。
他者の苦しさなど知ろうとしません。だから、自分のことは言える・・・
自分の気づかないところで苦しんでくれている人がいる・・・自分のことで。
家族、身内、職場、近隣、友だち関係・・・
それに気づくためには、何度も自ら苦しみを体験するしかないのでしょうか。
多くの人の善意と見えない力に護られて、愛の中で育まれているから
「今の平凡な暮らし」があると、
全ての愛を失って【暗転】してみなければわからないのでしょうか?
もし、大天使とやらが【暗転してみる?】と問うならば、
『暗転しなくても、今の平穏から愛を知ることができるでしょう?』
と促されているのです。
それでも『私は愛されていない』と思うなら、
暗転された人生を体験させてみる天は、間違いなく『愛』だと確信します。
天罰でなど決してありません。恵みです。
「幸せとは、ミラクルではない!」とピンボケから目覚めさせるため。
(ピンボケ:地に足が着いていない 寝言のような妄想)
自分が苦しい時、相手はもっと苦しかったのではないか・・・と私は思うんです。
そして、そっと 祈りを捧げます。祈り続けます。
だから、私の中は「ごめんなさい」でいっぱい。涙でいっぱい。
そして「ありがとう」で、もっともっと いっぱい満ちあふれています。
「ありがとう」は自分を裏切らない。ひとつの無駄もなく。
今年も気づかないところで何人もの人に苦しんでもらった私でしょう。
そうとは知らないまま 安泰で、どなたかに祈ってまでもらって、
『お陰様の一年』が暮れようとしております。お陰様で、お陰様で・・・
ただただ「ありがとう」しかありません。