気立てがよくて聡明な(仮名)由実さんを信頼していたのに、
私の陰口を言っていたと知ったときはショックでした。
しかし、それを話題にしたところで気まずくなってしまいます。
ここは年長の私が折れて、何事もないように自然に…
とは思っても、心は欝々とします。
そんなある日、電車の中で友人がこんなことを言いました。
「○さんが病気だと聞いて、お見舞いを言ったら怒らせちゃって…。
悪気はなかったの。むしろ私の方は良かれと思って、
思いやったつもりで声をかけたのに、
○さんにしてみれば、職場に病気のことを知られたくなかったみたいなの。」
私「そういう事情もあるかもしれないわね。
悪気がないのに怒らせてしまうことは、私もあるわ。
誰にだって、そういうこと、あるかもね。」
何気なく自分が言った『誰にだって』の中に、由実さんが入ったのです。
その瞬間、私の中で由実さんへのわだかまりが氷解しました。
どうでもよくなって、跡形もなくなって、消えたのです。
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由実さんとそのご家族の気遣いのなさに、私はじっと我慢してきました。
私たちが何に耐えているか気づかない人に言われる
『悪気はないんです』と言う言葉にも。
悪気だけじゃなく配慮もない…そう言えば大変なことになる。
言っても通じないだろう。
どうにもならないだけでなく、周囲の人を巻き込んで不幸にする。
黙るしかない、静かな怒りに耐えました。
言わないで済むなら、このまま「幸せを祈ることにしよう…」と。
いつか気づくかもしれないから、
成り行きにゆだねよう、と。
それから10年が過ぎて、自然に仲良く過ごしておりした。
由実さんへもご家族へも、なんとも思わなくなっておりました。
これを「日薬(ひぐすり)」というのでしょうか。
そして今、はたと気づいたのです!
由実さんのご家族が辛抱してくれていたことに!!
不満を言わなくてよかった。
気づくべきことは私にもあった。
先様も黙って我慢してくださっていた。
自分だけが我慢していたのではなったと気づきました。
誰も何も言わなくても、日薬が気づかせてくれました。
誰も何も言わなくても、
お天道様が教えてくれました。
ただ先様の幸せを念じてきてよかった。
やっぱり、成り行きには善意がありました。
私は「成り行きの善意」を信じられます。
誰かの不満を言いたくなる時、
決まってその後に、私自身こそ気づかされることがあります。
よくある、これが私のパターンのようです。