「そんな、わがまま言わないの!」「なんてワガママな子!」

・・・そう言われる子どもの失意を感じられますか?

せっかく「ありのまま」の思いを言えたのに、

それを大人の硬い心が「わがまま」とみなしたら、

子どもは正直な思いを表現することができなくなってしまいます。

それは本当に「わがまま」でしょうか?

大人の考えに従う子が素直で、それと違うことをしたがる子は「わがまま」?

大人のコントロールに従わせられたら満足で、従わない子は「わがまま」?

大人の都合に合わせてくれる子は良い子で、合わせられない子は「わがまま」?

「わがまま」と決めつけられた子どもは、

理解してもらえなかった悲しみの裏に、怒りを溜(た)めてしまいます。

大人がいつまでも気づかないでいると、溜まりに溜まった怒りが臨界に達し

不登校や非行などの問題行動や身体症状が現われるようになります。

それは、抑圧された本心の、やむにやまれぬ叫びです。

「困った子ね。」と言われる時、本当は当のその子が困っているのです。

どうしたらわかってもらえるのか、子どもは理解される手立てを知りません。

子どもが大人の指示に逆らうような表現をしたとき、

「そういうやり方もあるな。」と認められる柔らかな心

「この子は今、そうしたいんだな。この子なりのわけがあるんだな。」

と受け止めてくれる柔らかな心

「そうか・・・。だけどな、今はこうしてほしいんだ。そうしてもらわないと、

・・・こんなふうに困るんだ。」

と大人が伝えれば、子どもに選択肢が与えられます。

どうしたらよいか、子どもなりに考えるチャンスです。

子どもの能力が広がるチャンスです。

大人には考えつかない、思わぬ活路を発見することになるかもしれません。

思い通りに子どもを従わせたい、大人の思いこそが「わがまま」なのでは・・・?

大人の側が、自分の価値観を見直し、価値観を広げる機会を大事にしませんか。

子どもが笑わなくなる前に。 ・・・表情を失う前に。

・・・感情を捨てて、無気力になる前に。

・・・何も話さない子になる前に。

感情を捨てて、伝えることを諦めて言葉を発しなくなった子どもに、

「そこにある気持ちを聴かせて・・・」と、祈る思いで寄り添ったことがあります。

普段、子どもの思いに私が寄り添っていたら、

こんなふうにならなかった・・・、と悔やんだことがあります。

そうなる前に・・・、

子どものありのままの表現を聴かせてもらいましょう。

大人の思い通りでなくていい、正直な思いを聴かせてもらえるならと、

聴けなくなって思い知ったことがあるから・・・。

たとえ、あなたの意向に沿わなくても、 それを「わがまま」とみなさないで。

その時、その立場で、そのように感じるその子の

他には誰も代わりがいない たった一人の大事な 

その子が 今感じていることに、心を傾けて・・・。