大事な人を傷つけてしまい、悔やんでも悔やんでも、悔やみきれないことがあります。
軽蔑されたり、絶交されることもあります。
心がへし折れるような時、
「どうしよう・・・」とうろたえながら、
このような過ちをしてしまう自分だと認め、引き受けるしかないのですよね。
釈明できない場合もあります。
「どうしたらいいだろう・・・」
消すことのできない事実を引き受け、
「ごめんなさい」の想いを抱えながら、生きるしかできません。
うろたえる自分に、もう1人の自分を優しく同伴させ、
この出来事から何を学んだか、尋ねてごらんなさい。
痛みを伴う体験でさえ、小さな『学び』がみつかるなら、
それは幸せへの糧となります。
そんなに自分を叱らないで・・・。いろんなところがあっていい。
「馬鹿なことをした・・・」
馬鹿なところがあってはいけないの? 立派でなければいけないの?
「愚かだった。弱かった・・・」
弱みがあってはいけないの?
『ありのままの自分』を認め、
「ごめんなさい」を抱えながら歩むうちに、
「ごめんなさい」が「ごめんなさい」のまま輝く時が来ると
私は信じます。
こんばんは
久しぶりに佳代子さんのブログにおじゃましました。
そして導かれるようにこの記事にたどり着きました。
私には、まだ終わらせてはいけない課題があるようです。
面と向かって伝えられない分、心から「ごめんなさい」を送りました。
時間をかけて向き合っていきます。
ありがとうございました。