大事な人を傷つけてしまい、悔やんでも悔やんでも、悔やみきれないことがあります。
軽蔑されたり、絶交されることもあります。

心がへし折れるような時、

「どうしよう・・・」とうろたえながら、

このような過ちをしてしまう自分だと認め、引き受けるしかないのですよね。

釈明できない場合もあります。

「どうしたらいいだろう・・・」

消すことのできない事実を引き受け、

「ごめんなさい」の想いを抱えながら、生きるしかできません。

うろたえる自分に、もう1人の自分を優しく同伴させ、

この出来事から何を学んだか、尋ねてごらんなさい。

痛みを伴う体験でさえ、小さな『学び』がみつかるなら、

それは幸せへの糧となります。


そんなに自分を叱らないで・・・。いろんなところがあっていい。

「馬鹿なことをした・・・」


馬鹿なところがあってはいけないの? 立派でなければいけないの?

「愚かだった。弱かった・・・」


弱みがあってはいけないの?

『ありのままの自分』を認め、

「ごめんなさい」を抱えながら歩むうちに、


「ごめんなさい」が「ごめんなさい」のまま輝く時が来る

私は信じます。