「子どもにはいつも、『信じているからね』って言っています。」
と言う親御さんへ、伝えていることがあります。
本当に子どもさんを信じている親は、
「信じているよ」とは言わないでいられるものですよ。
子どもに「信じているよ」と言う親の気持ちは、
『私は子どもを信じたいけれど、
信じきれない弱さを持っているから、
私が信じられるように、心配させないでちょうだいね。』
なのかもしれません。
〇〇だから心配、
いじめられるのではないか・・・。
〇〇を子ども自身がどう認識しているか、
どう認識できる子に育っているかが鍵ですね。
親の取り越し苦労をしのぐ強さを
子どもの方が備えていることがあります。
一時つまずくことがあっても、
〇〇にもかかわらず
どうやって人と折り合っていけるか、
どうやって乗り越えていくのか、
子どもがもっているどんな力を発揮できるか
ちょっぴり期待して
おおらかに見守ってあげたいですね。
半身不随の障がいをもつ母親が心配していました。
『幼稚園に入ったら、うちの子は、こんな
お母さんの姿を見た他の子たちにいじめられるのではないか』
実際、その子は
『うちのママはすごいんだよ!
一個のお手手で何でもできるんだよ。
この絵本袋も、上履き入れも、
ママがミシンで作ってくれたんだよ。
うちのママはすごいんだから!』
と自慢していました。
いじめられたって跳ね返す力のある子です。
何を見て育ったか、
何を感じ取っているか、
子どもの言葉や態度に表れます。
親には思いもよらないことを感じ取って成長していることを
親の方がキャッチできていないことがあります。
私もそうでした。
子どもを信じるとは、
成長のプロセスを含む丸ごとを信じること だと思います。
「心配」とか「わばまま」と思う親の、
その思いが、目隠ししているものがあるかもしれません。
親が心配の先取りをするときは、
親自身の課題に向き合っている時ではないでしょうか。