心底 申し訳ないと悔いているとき、

 「ごめんなさい」で済まない過ちをしてしまったとき、

 

言葉で謝れないことがありました。

 

学校や職場で毎日顔を合わせても、

直接謝れないことがあります。

 

私にもありました。

本当に、本当に悪かった…心底痛感していても、

謝罪できるとは限らないことがあるとわかった体験でした。

 

「あの人から謝罪の一つもない」

その陰で、ぬくぬくと肥えているのか、

「悪いことをした」と自覚できない障害が隠れているのか、


または過去の私のように、

心で泣いて謝っていても 直接言えない場合なのか…。

 

取り返しのつかない過ちを、自分はするはずがない

そんなことをする人は、よほどの人…

そうでしょうか?

 

あってはならない過ちを、気づいたらやってしまっていた…

御免なさいで済まされない事態になっていた…

そこで 「謝れない」 場合があります。

 

卑近な例です。

高層階のマンションで、ベランダに干したはずのブルーシートが無い

下を見れば、騒ぎになっている!

風に飛ばされて線路内に落下していたら

「申し訳ありません。うちのシートです。」

と、あなたはそこへ行って名乗れるでしょうか?

 

名前が書かれていなければいい…と思わないでしょうか?

電車を停めてしまったら、どれだけの金額を請求されるか

恐ろしくならないでしょうか。

 

大事なテストの前夜、

仲の良かった同級生にちょっと見せてもらった教科書が
家で自分の鞄から出てきたら…

家が遠くて返しに行けない距離で…

電話番号を知らない、
相談できる親がいない事情であったら?

私、高校生の時、それをやってしまいました。

申し訳なさ過ぎて、翌朝会っても顔を合わせられなかった、

とうとう謝れなかった…

何も言えないまま、距離を置かれてしまいました、当然。

 

話は変わります。

『嘘をついている』罪悪感を抱えている人へ。

その嘘、人に迷惑をかけていますか?

今から、修正できますか? 修正が必要ですか?

 

私は、あえて嘘をつくことを人に勧めたことがあります。

福祉施設で仕事をしていた時のこと、

虐待の重篤な影響が辛うじて回避され、

数年後に子どもが親元に戻される時、親御さんから

 

これから入園する保育園の先生には

親子分離された理由をどう話したらいいかと相談されました。
(親子関係の修復は果たされていた)

「虐待したから」とは言えないと。…そうですよね。

 

私は、あえて嘘を 言うようにアドバイスしました。

どう嘘を言えばいいかわからないと言われて、具体的に教えました。
 

誰をも悪者にせず、
社会通念上、整合性が取れていればいい。

過去の罪より、

今から幸せになっていくことが大事ですから。

嘘を言ってもいい場合があると、私は思います。

 

消せない痛みは、誰にでもあり得ることですから。