ガンガン頑張って推し進めても、苦しみの渦に呑み込まれて行くばかり・・・
そのような方に、『委ねて、祈って、見守って』とブログに書きました。
すると、「委ねるって、どうすることですか?」と訊かれます。
これには答えようがなくて困りましたが、最近、言葉を見つけました。
【「作戦を手放す」ことが最善の作戦です】
考えて「ああすれば良い、こうした方が良いか」と作戦を練るより、
作戦(自分の考え)を手放して、作戦を離れ、作戦から自由になることです。
考えてもうまくいかないことは、大いなるはたらき(秩序 なりゆき)に委ねます。
それは、「委ねる先」を「信じる」からこそ可能です。
自分の考えが正しいと執着しているうちは、作戦を手放せません。
視野が狭くなって、「自分の考え」を超えたものを想定できません。
【考えてもわからない世界】=潜在意識(身体と一体) は、全て知っていて、
潜在意識にアクセスすることで、人知を超えた叡智を汲み取ることができます。
(催眠セラピーや瞑想)「(考えて)わからなくてもいい」のです。
普段は気づかない深いところにある「叡智」に繋がって、
深いところで感じ取り、(考えるのではなく 感じるの)
イメージしながら 対話したり・・・そこで何かが動きながら、
思い込みを支える思考がほどけたり、方向が変わったり、黒が白に変わったり、
そのうち、考えてもわからなかったところ(予期せぬゴール)へ行くでしょう。
人知を超えた世界を信じて、委ねて、祈って、見守れば・・・。
「そんなものを信じられるか!」って・・・
私たち自身こそ、既に人知を超えた存在で、人知を超えた世界で生かされているのです。
この身体ひとつ、この息の一つさえ自分で創ったものではない、頂き物なのです。
「信じるって、どうすればできるのですか?」
これは、教えようがないな・・・自分で体験して、掴み取るしかないと思います。
大いなるはたらき(秩序の善)を信じるには、
私の場合、並大抵ではない理不尽に耐えてこそ「獲得できた」と振り返ります。
(記憶以前の積み重ねがあったことは前提)
苦しい時に、そこから掴み取ったものの積み重ねが力になったと言えます。
また、「与えられ、与えられ、どこまでも与えられている」ことが
腹の底からわかって、深いところから感謝が湧き出る境地・・・これも力になります。
漫然とぬるま湯につかって生きながら、「幸せ」に気づかないうちは無理・・・
掴み取って 掴み取って、相当に魂を洗練したと覗える方がおっしゃいました。
「苦労を遊んでいるんです」と。この境地・・・すごいですね!
さきほど届いた昨年のクライアントさんからのメールをご紹介します。
『やりたいことが見つかった娘が本当にキラキラして、表情も生き生きして、
本来の自分が目覚めたのだなと思いました。