自らに完璧を課して、必要以上にミスを恐れて身動きできない人がいるでしょう。
「完璧であらねば」
「100以外ない。100でなければ、ゼロなんです。」
どこかで学習した思い込み・・・それが自分を縛り、苦しめます。
動けなくなります。
完璧でなければ納得できなくて、「完璧な自分」を目指しますか?
「完璧な自分」など、どこにも存在しません。
それは 幻想 です。
ありもしない 幻想を追いかけて 囚われて苦しんでいるのです。
大事な人生を つまらない囚われに浪費してはなりません。
「完璧」とは何でしょう?
先日 若い方にお話ししたことをお分けします。
完璧なものが存在するなら、それは
『最善へと導き、育てる 大宇宙の大いなるエネルギーの循環』です。
「摂理」とも言います。仏教では「法」と言います。
そこに繋がっていればこそ、私たちは成長(成熟)できます。
そこに繋がっているプロセスが 「完璧」なのです。
人間は、どんなに気をつけていても「ミス」することがあります。
それだから自分はダメな人間・・・と思うのも錯覚、意識の向け所が違います。
凹んで自分を叱って落ち込んだままでは・・・時間の浪費…
ミスの後、どう処理したらよいか、
次に同じミスをしないように、どうしたらよいか、
ミスした時こそ 学ぶチャンスです。成長できるのです。
「茶碗蒸しを初めて作ったら、鬆(す)が入って失敗でした。
次に、教わったやり方で作ったら、鬆(す)が入らず滑らかに仕上がりました。
最初に失敗しなければ、『鬆(す)が入るってどうなることか』わからなかった。
失敗して良かったです。わかったから。
失敗してもいいんだ!・・・って思いました。」
こういう境地でいられることが「完璧」です。繋がっているから。
「前なら落ち込んでいた ネガティブなことが 気にならなくなりました。
気を取られないで やり過ごせるようになって、
そこで悩まなくなりました。」
波動がアップすると、つまらないことに気を取られることが少なくなります。
どうやって 波動をアップしたの?
ちょっと動いてみた。
「散らかってるな。」と気になって、「片付けよう!」と思って
ちょっとのスペースだったけど、片付けたらキレイになった。
ちょっと嬉しかった。「私、できるんだ!」ってわかった。
おばあちゃんが掃除している時、ちょっと手伝ったら、
一隅をキレイにできた・・・。「私、できるんだ!」
お母さんが台所に立っている時、ちょっと手伝った。
最初はできることが少しだったけど、
何回も一緒に 台所でお母さんがやるのを見ているうちに
教えてもらえて、だんだん一人でできることが増えてきた。
すると、台所以外のことも、自分でできるようになってきた。
自信がついてきた。
きっかけは、ちょっと 動いただけなのに、
「できるって、楽しい!」と思える自分になっていた。
「できたこと」を誰かに話せたのも良かった。
誰かと話して、体験を分かち合うことで、先に進める。
そうしたら、落ち込みにくくなっていた・・・そうです。
話すって大事!
聴いてもらえると 前に進めます。
赤ちゃんの頃、誰も「立ち上がり方」を教わっていません。
「歩き方」を教わったわけではありません。
それでも、発育して、発達して、立てるようになった。歩けるようになった。
それは、私たちの中に「育つ力」が 注がれているからです。
完璧な大宇宙の最善へ向かうエネルギーの循環につながっているから、
私たちは何歳になっても 心と魂は 成長することができます。
私は、年を重ねることが興味深く、面白いと感じます。
年を重ねながら、
5年前・10年前には思いもしなかった自分が育っているからです。
こうやってこの先、予想もしなかった未来を体験するのでしょう。
生きていることが「恵み」です。 死もまた 楽しみです。
「完璧でない私」が 対人関係 特に我が子に対して後悔した頃、
「完璧でない私」には 「償う時間」が与えられておりました。
本当にありがたい恵みでした。
共に生きていることの恵み・・・
共に生きているから、「償い」に向かうことができました。
変わることができました。
共に生きている時間、当たり前のようなこの時間・・・大事にします。
時間が大事なのは、「誰かが大事」だからかもしれません。
あなたは誰を・・・?
一番大事な人を、忘れてはいませんか?
「謙虚」って何ですか?・・・ありのままの自分を引き受ける