『やってみせ、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば、人は動かじ』
山本五十六(やまもといそろく)の言葉と言われますが、
「子育て」も、こういうことなのかもしれません。
老人福祉施設で仕事をしていた頃、
一ヶ月の試用期間で雇用を解かれた新卒のその方は、
次に何をしたらよいかわからず、
皆が動く場で じっと立って観ているだけでした。
個別に丁寧に教えても…動けませんでした。
弁がたって 人にものを教えようとするが、
それこそが 自分の立場で この場にふさわしくないとわからない…
今でいう「痛い子」でした。
古新聞を紐で結わくこともできませんでした。
家でやったことがないそうです。
洗濯物を干すこともできませんでした。
家でやったことがないそうです。
食卓に配膳することができず 見ているだけ…。
家で何もしないで やってもらって 育った子は、社会に出てから、
他の人が当たり前にできることを 自分はできなくて落ち込みます。
わが子がそうなっては困るでしょう?
私は それを どうやって覚えたのだろう・・・?
鈍(どん)臭くて 不器用な私は、
口の悪い田舎者の祖父に小言を言われながらも、
いちいち 教えてもらいました。
やってみせ、言って聞かせて、させてみて…流で。
鈍(どん)な私には、「させてみた」後で ボロクソにダメ出しがあり、
誉めてはもらえませんでしたが、
何度も何度も、やらねばならない状況で自然にできるようになりました。
それが大人になってから 役に立ちました!
そればかりでなく、社会に出て 他人に仕事を教わる際の、
「教わり方」も学べたと思います。
子どもを 社会に出すまでには、
住まわせて・食べさせて・着せて・学校を卒業させて…だけでは足りない
大きな助けが必要です。
最小限の生活力、段取り、時間の隙間を活用しようとする気働き、
感情の制御…指導を善意に受け取れず、泣き喚くようでは周囲が困ります。
(信じ難いかもしれませんが 実際にいるんです、老若問わず)
いずれも生活の中で 繰り返し練習して得られるものです。
それをさせて、自信をつけさせてあげるのは「親の役目」だと思います。
出来過ぎる親こそ、要注意!
親が元気で、何もかも 一所懸命にやり過ぎては、わが子に
「あなたは しなくていい。 覚えなくていい。」と言っているようなもの、
練習する機会を逃してしまいます。
かく言う私、若い頃 多忙極まって「主婦廃業宣言」した ろくでもない母親です。
子どもの猛反撃に遭うも、「皆でやればいいじゃないか」と夫が言ってくれ、
できることを、できる人が、できる時にやって 家事を回したようです。
その間、家族皆が、調理・掃除・洗濯ひととおりできるようになってくれました。
家事手伝いをしてくれる他人が家に入ることを 家族が拒否した結果、
仕方なく、自分たちが できるようにならざるを得なかったのですが…。
私こそ ろくでもない「痛い母親」でした。
山本五十六の言葉には続きがあります。
やってみせ、言って聞かせて、 させてみせ、 誉めてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、 任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、 信頼せねば、人は実らず。
子育ての最終仕上げ、
早いほど 時間をかけてあげられて、親が楽です。
いつやりますか?
今でしょ?