「あの頃は学校に行けなかったけれど、家であんなふうに過ごせて良かった。
あの頃があって良かったな~。」と、いずれこの子が回復した後で、
このように思い出せるような時間にしたい と思っていました。
「笑い」が一番の薬です。
「学校に行く?」と訊いて、行けなかったらお母さんの膝に抱っこして、
「元気になったら、行けるようになるよ。 それまで、お家にいようね。お母さんは味方だよ。」
と約束してあげて下さい。
今、親にできる唯一のことは、 『安心して居られる居場所を保証してあげること』
これに尽きます! 不登校は、今その子にそれが必要だから表れていることで、
悪いことが起きているのではありません。 悪いことでも、困ったことでもありません。
親の見方が変わる必要性を認めることが解決の第一歩で、
自分の正しさに子どもを従わせようとすれば、ご家族は長く迷うようです。
あなたが今苦しいのは、お子さんが学校へ行けないからではありません。
「…でなければ困る」
「…こうなってもらわなければ困る」という
自分の価値観が自分を苦しめている のです。
お子さんを変えようとするのではなく、
「今この子は、…(こう)…なんだな」と、ありのままを認め続けることです。
お子さんを変えようと叱っても説教しても解決になりません。
お子さんのブレーキは理屈理論では動きません。
私たちは、
≪Doing(する自分)(社会的自分)≫を下支えする
≪Being(いる自分)(霊的=スピリチュアルな存在としての自分)≫ を生きています。
お子さんは今、 ≪Doing≫ が疲弊し、 自分を取り巻く社会から一時撤退して、
傷んだ≪Being≫を自己治癒しようとしている状態なのです。
そのまま疲弊し続けると、危険だと察知しているからです。
それ以上の無理は、身体症状として叫びをあげる可能性があります。
「今、ありのままを認め続けることが味方になること」
遠回りのように感じるでしょうけれど、これが最短の道だと私は信じます。
「今、この子は…(こう)…なんだな」とありのままを認め続けることです。
今よりもっと幸せになれるように、賜物が隠されています。
お母さんが楽になれば、お子さんは充電しながら次第に必ず変わっていきます。
大事なのは、安心の充電、安心感は生きる力を育てます。
安心の基地でエネルギーを充電してこそ!
親に認められ続ける体験が、安心の充電になります。
親に認められ続ければ、自分を認められるようになり、
セルフイメージが変わり(自信が感じられる)、人がどう思うかが気にならなくなる。
「子どもに添う」と言っても、腫れ物に触るように闇雲に要求に応じて、
「学校へ行けないと、親は私のために言いなりになる」と学習しては困ります。
要求を受け入れるべき範囲を保つことも大事で、
受け入れられない時にも、求める子どもの気持ちを汲んだ上で、
できないことはできないと伝えるのです。
「…してほしいのね~。…したいね。お母さんもさせてあげたいな。
でも、今はできないのよ。わかってね~。」
と、伝えること。 つき離すのではなく、お子さんの気持ちは汲んだ上で、
我慢している子どもの思いを汲んであげることです。
お子さんに訊いても、本心を表現できるとは思えません。
ただ、「聴きたい。聴かせてもらいたい」想い は届くはず・・・。
子どもの不登校の時、親にこそ癒し(セラピー)が必要です。
子どもさんの≪Being≫が疲弊している姿に接する親御さんも、 自分の≪Being≫が疲弊していますね。
心配いらないから、楽になってください。
誰かの助けがほしいとき、 私はいつも、ここにおります。