この一週間にお目にかかった方々から頂いた言葉をご紹介します。

 

苦しい時、私が手渡したメモを思い出して自問してみたそうです。

 どうなりたくて そんなに苦しんでいるの?

  どうなれなくて そんなに苦しいの? 』

 

すると、それまでもやもやしていたものが整理されて、

「私はコレが苦しいんだ。」とわかって、

「コレ」らを一つずつ仕分けして、次に一歩進めたそうです。

 

仕分けとは、その方の場合、苦しみの対象となる人との

「価値観の違い」を認めて、気持ちの整理をつけたのだと思います。

 

別の方は、

並々ならぬ苦境を生きておられながら、

苦しみの深い意味を承知していながらも、苦しくて、

子どもさんに愚痴をこぼしたそうです。

そうしたら、

「お母さん、この苦しみのある人生と、ない人生、選べるとしたらどっちがいい?」

母「そりゃぁ、苦しみがない方が平穏でいいよね。」

「本当にそう思う? 本当?」

母「えっ⁉」

「苦しみのない人生だったら、 高橋先生に会えなかったんだよ!」

母「(即) やっぱり、こっちの人生の方がいい!(笑)」

「そうだよ。お母さんには平穏な人生は物足りないと思うよ。」

それを聞いた私 「初めから、百も承知でここへ生まれて来たんでしょう。」

 

苦しみがあっても、私に会える人生を選ぶと言って頂けたことは、

何より有難く、もったいない言葉でした。

 

話は変わりますが、

あえて「平穏な人生」を選んで生まれてくる方もたくさんいらっしゃいます。

苦労が重い・軽いだけで人格を測ることはできません

 

過去世で

愛する家族との暮らしが、いっぺんに奪われてしまったその人は、

妻も子も亡くし、打ちひしがれ、その後の人生を立て直すことができませんでした。

 

そして今世で、あの妻と子どもたちと再び親子になって、

平穏な人生を楽しんでおられます。

仕事が終わると、まっすぐ帰宅して子どもと遊び、家族を大事にする…

努力してそうしているのではなく、そうしないではいられないのだそうです。

 

私から見たら、

社会的にもっと重要なポストに就いて活躍できる方でしょうに、

仕事は仕事で一所懸命しているけれど、

家族と暮らす時間が かけがえのない幸せだそうです。

 

今現在、どんな位置にいるか…で人間の価値は測れない と思います。

それぞれの魂に歴史があって、

その流れの中で 求めるものが満たされているのでしょう。

 

成績優秀で、首席で、全国何位で、

大学は~で、仕事は~で、エリート街道まっしぐら、業務成績はトップ、

それが自慢で 有頂天になると、見えなくなるもの があります。

誰でも、そうなります。

人がそうなった時、お天道様は

見えなくなっていたもの を思い出させてくれます。

 

がんばっても、がんばっても、

自分の力ではどうにもならないことに直面します。

根源的な苦しみに直面すると、

苦しみを通して、それまで見失っていたもの気づかざるを得ません。

成績・業績・ポジションが人間の価値を測る尺度であるかのように生きていた人に、

価値観の転換が起こることがあります。

他にもっともっと大事なものがあったことに目覚めさせられ、

それが私たちを豊かにしてくれます。

 

根源的な苦しみを通して、成熟に向かえるよう私たちは導かれているのです。

有頂天になっていない人たちも、誰もが、

人生のどこかで 真実に目覚めよ と導かれます。

 

ある方のメールより、

『様々な苦しい状況から 強烈に気付かされたことは

【私は何ひとつコントロールすることはできない】ということです。

様々な希望や期待が思うようには叶わない、状況が改善されない、

祈りさえも届かないこともある、

 

【何ひとつコントロールできる事はない】

と気付かされた時、状況とは裏腹に不思議なほどの平安な気持ちがやってきたのです。

ほっとしている自分がいました。

やれることはする、良いと思ったこともしつつ、

それでも湧き上がる期待や希望に執着せず降伏し、ただ委ねようと決めました。

もし天の意思が「一生かけてこの子の困難な状況に向き合いなさい」というものなら、

もうそれはそれで仕方がない、自暴自棄的に諦めるということではなく、

【聖なるあきらめ】に近い感覚です。』

 

無力を知る ことは、悟りに近い境地だと私は思います。

無力を受け入れることは、誰にでもたやすくできることではありません。

 

ここへたどり着くまでに、洗練されてきた証を見せていただいているような

出会いです。賜った出会いです。

自分の無力に耐えながら、

なお相手を見捨てることなく寄り添える人は格別に尊い方です。

その苦境にあって、ご自分を汚さないでほしいと祈ります。

お相手だけでなく、自分をも大切にと念じます。