弁護士K氏が、ある凶悪事件の主犯者の国選弁護人になって、
手が付けられないほど荒れていた青年の心をやがて改心させるに至った…
その話をしたら、血の気の多い若い男性から猛烈な反発(?)に遭いました。
(十年も前のこと…)

そんな人の弁護を引き受けるなんて、許せない。」と。
どうして、そんな人の弁護をするのか?」と。

K氏はその青年の国選弁護人を受けてから、あっという間に髪の毛が真っ白になりました。

彼の中の葛藤を、私はその一部しか存じ上げないのですし、代弁など僭越ですが、
私に共感できる部分だけでもお話しさせて頂きました。

その青年は、誰がどう見ても赦し難い凶悪な罪を犯しました。

被害者の苦しみは想像を絶しますし、
被害者の家族や周りの方々の悲痛な苦しみも、私には代わってあげることができません。
その犯罪は、取り返しのつかない事実です。

 K氏がなぜ弁護を引き受けたか
その底辺にある想いは、「自分が犯罪者じゃない理由」に通じるのではないかと思います。

私が犯罪者でないのは、「善人だから」ではありません。
私が善人だから前科者ではない
…のではないのです。

もしも私が、犯罪者と同じ境遇に生まれ、同じ体験を重ねて育ち、
同じように感じ続け、いつか同じ出来事に巡り合わせていたら、
私も同じ犯罪を犯していなかった…とは断言できません。

私が今、犯罪者と呼ばれていないのは、たまたま、罪を犯す流れにいなかった…
それだけのこと。

私が立派な人だから、ではありません。

 若かりし頃、私と同じく
紀野一義先生を尊敬しておられたK氏も、おそらく同じ人間観をおもちだと思います。

荒れに荒れた心で 凶悪な罪を犯した主犯者と、同じ地べたに身を沈め、
髪の毛が真っ白になるほど悩み、
生い立ちからの彼の重荷を、K氏も半分担いで、
文字が読めなかった彼に文字を教え、
本を与え、
犯したことの重大さと、取り返しのつかないことを受け止めさせ、支え、
やがて自ら進んで写経をするようにまで彼を導いたK氏は、

自分が立派な人だから犯罪者ではない…のではないことも、
万人が「恐ろしい」と目を背ける若者の奥の奥に、聖なる流れがあることも、「わかっていた」のでしょう。

そういう人だからこそ、道を見失った若者の鉄の扉を開けられたのでしょう。

犯罪被害者の支援と同じように、
私は犯罪者の家族の支援も大事なことだと思っています。
その方向へ、歩み始める覚悟です。

私の家族が犯罪を犯さないのは、
たまたま、犯罪につながらない流れを歩ませて頂いているお蔭様、
立派な人だから犯罪者じゃない、のではではない。

自分に火の粉が降ってきたら、同じように苦しむでしょう。私だって、同じように。