娘がご飯を炊くと、米粒は照り輝き、口に含むと何とも言えず美味しいのです。
私が炊いたご飯と明らかに違います。
そのことが食卓で話題になり、娘にコツを尋ねたら、
「何もないよ。」と言うのですが、
「『美味しくなーれ、美味しくなーれ』って研いでいるだけ。」
と言うのです。
そういえば私は、
台所に立つと、決まって過去の厭な場面を思い出しておりました。
知らず知らずに思い癖になっていたのです。
お米は、水を吸収する時に、
「研いでいる人の波動」も吸っていたのでしょうか。
まるで赤ちゃんがミルクを飲むときに、
自分を見つめてくれるお母さんの愛を、ミルクとともに飲んでいるように。
米って生きていて、私の波動を吸っているのですね。
お料理には、作る人の波動が映し出されるのですね。
照りのない私のご飯には、
過去の痛みにとらわれている私の波動が表れていたかもしれません。
私も、台所に立つときの心のチャンネルを切り替えます。
過去の場面を思い出しそうになったら、「今」に戻って
「美味しくなーれ、美味しくなーれ。
○○ちゃんが食べるから美味しくなーれ。
美味しくなーれ、美味しくなーれ、
◎◎さんが来るから、美味しくなーれ」
歌うような心持ちで炊きました。
さあ、今日の炊き上がりはどうでしょう?