「ごめんなさい」を抱えて生きている未熟な自分なのに、
自分の中の思いがけない宝に触れると、
「何かの間違いではないか」
「私にそんな価値があるわけがない」
「傲慢なのではないか」
「私はおかしいのではないか。これでは、周りから浮く」
と自分を卑下してしまうことがあります。


全能永遠のいと貴きところより
生命(いのち)」を分け与えられ

生命を与えるにふさわしいから生かされ

そこに運ばれ、愛されるに値するからそこに置かれている

・・・それが「生きている」ということ。

成長途中の自分は間違いもする、後悔もする、欠点もある・・・

優れているから愛されるのではない。立派だから愛されるのではない。

未熟でも「善し」として、神が生かしておられる自分
「こんな私では」と自分を低くしようとすることが「罪」なのだそうです。

謙遜」とは、
自分が持っているものを「持っている」と認め表明すること。
自分が持っていないものを「持っていない」と認めること。

例えば職場で求められる、ある能力を自分が持っている場合、
「私はできます。協力させてください。」と言うのが謙遜。
「自分で言うのを控え、周りの人が讃えて前に押し進められるのを待っている」のは
不遜だそうです。


また、自分が持っていないのに、
持っている振りをして虚飾し、讃えられようとするのも不遜だそうです。


すると、職場で自分の本心が思うことは、それこそ大事にするべきもの。

「こんなことを言ったら浮いてしまう。」と思って、自分を守って

大事な気づきを持っていながら、それを隠しているなら

何のためにあなたはそこにいるのでしょう。


そっと種蒔きしましょうよ。

思いがけないところに、共感してくれる人がいるものです。
ひとり、もうひとりと、今は隠れている同心の人が現われると、
職場が今と別世界に感じられるかもしれません。

いつ、どこにいても、「今ここ」を大事に、本物の自分として生きましょう

いつかあなたが職場を離れても、
蒔かれた種自身の力で、芽を出し花を咲かせる時を得るでしょう。

本当の気持ちを押し隠していると、

身体の症状となって代わりに声をあげてくれることがあります

頭を痛くしてまで、心を空っぽにしてまで、あなたは
シグナルを与えられ、守られ、愛されているのですね
ちょっとでもずれると、「違うよ」と教えられているのですね。

その想念を、「もったいない」ものを扱うように大事に守られているのですね
あなたの気づきが真理と一体だからですね。


鈴木秀子先生の新著『幸福の答え』(海龍社)が出ました。


あなたに必要な、大事なメッセージがみつかるかもしれません。