過去に私は、犯罪加害者家族を支援する取り組みをしようとしましたが、

不徳の致すところにより頓挫しました。

被害者家族、ではなく「加害者家族」です。書き間違いではありません。

 

https://news.yahoo.co.jp/feature/710

「犯罪の加害者を責めません」…ある遺族の選択とは

を読んで、そのことを思い出しました。

どうか皆様も読んでみてください。

 

受刑者を前にして、「犯罪の加害者を責めません」と言う人が

私のような第三者的立ち位置にいる人ではなく、

愛娘を犯罪によって失った母親なのです。

 

中谷加代子さんだからこそたどり着いた境地、そこから

「責めません」と言われたら…、

その後は言葉になりません。

よくぞここまで昇華されたことです。天国のお嬢様もお喜びでしょう。

 

2012年に中谷さんは30年以上勤めた仕事を辞めた。「犯罪被害者の遺族として何かできないか。自分の体験を警察などで生かしてもらえないか」と考えていた。夫には「おまえの話なんか、誰が聞くんか」と言われたが、何かができるような気がしていたという。

どちらの夫君も同様でしょうか。

私の夫も、私の考えにすぐ「そんなこと、できるわけがない」と言います。

 

そんな夫が、もしも犯罪被害者になったら、

父親をこよなく慕う息子は鬼になって、あたら人生を曲げてしまうかもしれません。

それが予測されるからこそ、夫なら『自分に重い非があってこういうことになった』と

嘘を言うだろうと思ったことがあります。

 

自分が負った被害のために、人生を曲げてしまうなと、

息子にはまっすぐに自分の人生を生きてほしいから、

精一杯の愛で、『とんでもない嘘』を言うかもしれません、この人は。

 

そういう嘘もあるんだろうと思ったことでした。

話が逸れました。

 

愛するがゆえに犯罪者を憎み続ける…とばかりは限らない。

愛ゆえに、常識を超えた境地にたどり着くことがある、

中谷さんのように。

そういう存在を知って、今日まで生きてきた甲斐をしみじみ感じられました。